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阿曽沼秀光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
阿曽沼秀光
時代 江戸時代初期
生誕 寛永14年(1637年
死没 延宝6年2月27日1678年4月18日
別名 通称:忠次郎、太郎左衛門
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 藤姓足利氏阿曽沼氏
父母 父:秋里元平
養父:阿曽沼元理
兄弟 義兄弟:就致秀光
正室:阿曽沼元理の娘
継室:毛利元宣の娘、三吉某(芸州浪人)の娘
秀之、女(毛利就信養女、口羽通尚室)、
女(秋里貞平養女、宍戸忠直室)、佐武義真
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阿曽沼 秀光(あそぬま ひでみつ)は、江戸時代初期の武士毛利氏家臣で長州藩士。父は秋里元平、養父は阿曽沼元理

生涯

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寛永14年(1637年)に秋里元平の子として生まれ、長州藩士・阿曽沼元理の娘と婚姻し婿養子となり、毛利秀就綱広の二代に仕える。

延宝6年(1678年2月27日に42歳で死去し、子の秀之(二郎三郎)が後を継いだ。

参考文献

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  • 萩藩閥閲録』巻35「阿曽沼二郎三郎」
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション