コンテンツにスキップ

関西学院構内古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関西学院構内古墳

墳丘・石室開口部
別名 関学古墳
所属 上ケ原古墳群
所在地 兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155
関西学院大学構内)
位置 北緯34度46分14.85秒 東経135度20分45.75秒 / 北緯34.7707917度 東経135.3460417度 / 34.7707917; 135.3460417座標: 北緯34度46分14.85秒 東経135度20分45.75秒 / 北緯34.7707917度 東経135.3460417度 / 34.7707917; 135.3460417
形状 円墳
規模 直径12m(推定復元18m)
高さ3m
埋葬施設 片袖式横穴式石室
出土品 人骨・装身具類・鉄鏃・馬具・須恵器
築造時期 6世紀後半
史跡 西宮市指定史跡「関西学院構内古墳」
地図
関西学院 構内古墳の位置(兵庫県内)
関西学院 構内古墳
関西学院
構内古墳
テンプレートを表示

関西学院構内古墳(かんせいがくいんこうないこふん、関学古墳)は、兵庫県西宮市上ケ原一番町にある古墳。上ケ原古墳群を構成する古墳の1つ。形状は円墳。西宮市指定史跡に指定されている。

概要

[編集]

兵庫県南東部、甲山南東麓に築造された古墳である。現在は関西学院大学構内に所在する。一帯には本古墳のほかにも小円墳数十基が所在し、上ケ原古墳群を形成した。1959年昭和34年)に発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径約12メートル(推定復元18メートル)・高さ約3メートルを測る[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。石室内の調査では、2個体以上の人骨のほか、副葬品として装身具類・鉄鏃・馬具・須恵器が検出されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半ごろと推定され、7世紀初頭ごろまでの追葬が想定される。

古墳域は1974年(昭和49年)に西宮市指定史跡に指定されている。

遺跡歴

[編集]
  • 1935年昭和10年)、実測調査(武藤誠ら)。
  • 1959年(昭和34年)、市史編纂作業に伴う発掘調査(武藤誠ら、1967年刊行の『西宮市史』第7巻に報告)。
  • 1974年(昭和49年)3月20日、西宮市指定史跡に指定。

埋葬施設

[編集]
石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 玄室:長さ4.74メートル、幅1.5メートル、高さ2.4メートル
  • 羨道:現存長さ5メートル、幅1.2メートル

石室の石材は、仁川渓谷産の花崗岩の川原石。玄室の奥壁は1段積みで、側壁は6・7段積み。天井石は4枚。羨道は大きく破壊されており、全体像は明らかでない[1]

玄室奥の床面には、棺を据えたと見られる石列が認められる。石室内の調査では、人骨(骨片・歯:2個体以上)のほか、装身具類(金環5・滑石製勾玉1・琥珀製棗玉2・碧玉製管玉9・水晶製切子玉6・ガラス製小玉37)・武器(鉄鏃4)・馬具(革帯留金具1)・須恵器(坏1・坩1)が検出されている[1]

文化財

[編集]

西宮市指定文化財

[編集]
  • 史跡
    • 関西学院構内古墳 - 1974年(昭和49年)3月20日。

脚注

[編集]

参考文献

[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 中村直人「<記録>関西学院・西宮上ケ原キャンパスの歴史的環境 : 関西学院構内古墳と上ケ原用水(第48回関西学院史研究会)」『関西学院史紀要』第24号、2018年3月、111-130頁、CRID 1050282676665406208hdl:10236/00026751ISSN 09179704  - リンクは関西学院大学リポジトリ。

関連文献

[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『西宮市史』 第7巻 資料編4、西宮市役所、1967年。 
  • 関西学院考古 -構内古墳現状遺物報告-』第2号、関西学院大学考古学研究会、1975年6月。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 関西学院構内古墳」『関西学院考古』第3号、関西学院大学考古学研究会、1976年8月、7-9頁。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 武藤誠古墳のあるキャンパス -関西学院構内古墳と私-」『関西学院考古』第7号、関西学院大学考古学研究会、1981年11月、9-12頁。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 松林宏典「関西学院構内古墳」『ひょうご考古』第6号、兵庫考古研究会、2000年11月1日、103-104頁。 
  • 高田祐一「関西学院構内古墳の3次元計測調査」『関西学院考古』第11号、関西学院大学考古学研究会、1922年12月31日、53-59頁。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。

外部リンク

[編集]