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関根忍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関根 忍
基本情報
ラテン文字 Shinobu SEKINE
原語表記 せきね しのぶ
日本の旗 日本
出生地 茨城県の旗茨城県東茨城郡大洗町
生年月日 (1943-09-20) 1943年9月20日
没年月日 (2018-12-18) 2018年12月18日(75歳没)
身長 173cm
体重 80kg
選手情報
階級 男子80kg級
段位 9段
獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
オリンピック
1972 ミュンヘン 80kg級
世界柔道選手権
1971 ルートヴィヒスハーフェン 無差別級
アジア柔道選手権
1966 マニラ 80kg級
1966 マニラ 無差別級
2022年1月7日現在
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関根 忍(せきね しのぶ、1943年9月20日 - 2018年12月18日)は、日本柔道家(9段)。茨城県東茨城郡大洗町出身。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長173cm[1]1964年東京オリンピック80kg級金メダリストの岡野功とは同じ茨城県の出身で、同年齢のライバルでもあった。

経歴

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茨城県立那珂湊第一高等学校から中央大学を経て警視庁に進み、左手をぐいと伸ばして肩越しに背中をつかむ変形の組み手で実力を伸ばした。

1972年には中量級の選手ながら全日本選手権で優勝した。さらに1972年ミュンヘンオリンピックの男子柔道中量級でも金メダルを獲得した。5回戦で韓国呉勝立に敗れたが、呉が勝ち進んだため敗者復活で救われ勝ち上がり、決勝で呉と再戦。序盤は防戦一方だったが、残り数十秒になって関根も捨て身の反撃を行った。旗判定となり、副審の判定は1対1。主審は関根に旗を揚げた[1]

全日本柔道連盟強化コーチ、強化委員を経て審判委員会委員長を務めた。1996年アトランタオリンピックの審判員。

2004年、同じ大洗町出身の井川慶大久保博元らと共に町民栄誉賞を受賞した。

2017年、旭日双光章受章[2]

警視庁主席師範を経て平成国際大学師範、東京都柔道連盟会長を務めた[3]2012年4月28日には講道館創立130周年記念式典にて9段に昇段し、赤帯を許された[4]

2018年12月18日、死去[3]。75歳没。叙正六位が送られた[5]

主な戦績

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脚注

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  1. ^ a b Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
  2. ^ 「秋の叙勲 都内430人=東京」『読売新聞』2017年11月3日朝刊
  3. ^ a b “ミュンヘン五輪柔道で金、関根忍さん死去” (日本語). Yomiuri Online. 読売新聞社. (2018年12月18日). オリジナルの2018年12月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181218193355/https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20181218-OYT1T50068.html 2018年12月18日閲覧。 
  4. ^ “講道館創立130周年記念 九段昇段者および新九段のことば”. 機関紙「柔道」 (財団法人講道館). (2012年6月1日) 
  5. ^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2019年1月16日朝刊

関連項目

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外部リンク

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