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関東十八檀林

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)とは、江戸時代初期に定められた関東における浄土宗檀林[注釈 1]18ヶ寺をいう[1]

江戸時代初期、知恩院は浄土宗の有力な寺院のひとつではあったが、宗派内での地位は明確ではなかった。慶長2年に知恩院の尊照が「関東檀林規約」五条を定め、本寺・末寺の制度が整備された。また元和元年7月24日には増上寺存応の案による「浄土宗法度」三十五条が幕府によって発布され、門跡を知恩院、総録所[注釈 2]を増上寺とする教団体制が確立した[4]。18寺の檀林が公式に認められ、宗派の重要事は檀林の会議で決すること、僧侶の養成も檀林でのみ行うこととされた。

関東十八檀林

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関東十八檀林の寺院を列挙する[1]

武蔵国
相模国
下総国
上野国
常陸国

脚注

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注釈

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  1. ^ 檀林とは僧侶の養成機関・学問所のこと。江戸時代にみられた。浄土宗のみならず他宗派でも独自に檀林を持っていた[1][2]
  2. ^ 総録所では全国の浄土宗の宗務を管理した[3]
  3. ^ 1939年に浅草神吉町(現東上野[5])より移転[6]

出典

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  1. ^ a b c 関東十八檀林』 - コトバンク - 2017-11-28閲覧
  2. ^ 檀林』 - コトバンク - 2017-11-28閲覧
  3. ^ 由来・歴史 増上寺”. 増上寺. 2017年11月29日閲覧。
  4. ^ 「近世近代の浄土宗」『浄土宗新聞』1991年10月1日、6面。
  5. ^ 神吉町” (PDF). 台東区. 2017年11月28日閲覧。
  6. ^ 幡随院』 - コトバンク - 2017-11-28閲覧

関連項目

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