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長谷川美代次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川 美代次
生誕 1888年1月7日
日本の旗 日本 福井県
死没 (1970-02-01) 1970年2月1日(82歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
1945年
最終階級 陸軍中将
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長谷川 美代次(はせがわ みよじ、1888年明治21年)1月7日[1] - 1970年昭和45年)2月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

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1888年(明治21年)に福井県で生まれた[1]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第31期卒業[1]。イギリス駐在を経て[2]1933年(昭和8年)8月に陸軍省整備局統制課高級課員に就任した[2]1935年(昭和10年)3月15日陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍歩兵学校教官に就任し[2]1936年(昭和11年)3月に独立歩兵第1連隊長に転じた[2]

1938年(昭和13年)3月1日陸軍兵器本廠附となり[2]5月9日商工省臨時物資調整局第2部長に就任し[2]7月15日に陸軍少将に進級した[2]1939年(昭和14年)10月に独立混成第15旅団長(北支那方面軍)に就任し[1]日中戦争に出動[1]北京に駐屯し[1]、冀東、北部冀中、晋察冀辺区などで治安維持、討伐戦に任じた[1]1941年(昭和16年)8月25日に陸軍中将に進級し[2]10月15日留守第5師団長に就任した[1]1945年(昭和20年)3月29日に待命[3]3月30日予備役に編入されたが[1]3月31日に召集され朝鮮軍管区兵務部長に就任した[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 576頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 293頁.
  3. ^ a b 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026