長谷川美代次
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長谷川 美代次 | |
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生誕 |
1888年1月7日 日本 福井県 |
死没 | 1970年2月1日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1911年 - 1945年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
長谷川 美代次(はせがわ みよじ、1888年(明治21年)1月7日[1] - 1970年(昭和45年)2月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1888年(明治21年)に福井県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第31期卒業[1]。イギリス駐在を経て[2]、1933年(昭和8年)8月に陸軍省整備局統制課高級課員に就任した[2]。1935年(昭和10年)3月15日に陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍歩兵学校教官に就任し[2]、1936年(昭和11年)3月に独立歩兵第1連隊長に転じた[2]。
1938年(昭和13年)3月1日に陸軍兵器本廠附となり[2]、5月9日に商工省臨時物資調整局第2部長に就任し[2]、7月15日に陸軍少将に進級した[2]。1939年(昭和14年)10月に独立混成第15旅団長(北支那方面軍)に就任し[1]、日中戦争に出動[1]。北京に駐屯し[1]、冀東、北部冀中、晋察冀辺区などで治安維持、討伐戦に任じた[1]。1941年(昭和16年)8月25日に陸軍中将に進級し[2]、10月15日に留守第5師団長に就任した[1]。1945年(昭和20年)3月29日に待命[3]、3月30日に予備役に編入されたが[1]、3月31日に召集され朝鮮軍管区兵務部長に就任した[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。