長崎市立西浦上中学校
表示
長崎市立西浦上中学校 | |
---|---|
北緯32度47分21.8秒 東経129度52分0.8秒 / 北緯32.789389度 東経129.866889度座標: 北緯32度47分21.8秒 東経129度52分0.8秒 / 北緯32.789389度 東経129.866889度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
校訓 | 勤労・自学・責任 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C142210000179 |
所在地 | 〒852-8131 |
長崎県長崎市文教町4番10号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎市立西浦上中学校(ながさきしりつ にしうらかみちゅうがっこう、Nagasaki City Nishiurakami Junior High School)は、長崎県長崎市文教町にある公立中学校。略称「西中」(にしちゅう)。
概要
[編集]- 校訓
- 「勤労・自学・責任」
- 校章
- 「西」と「中」の文字を組み合わせたデザインとなっている。
- 校歌
- 作詞は市瀬正生、作曲は寺崎良平による。歌詞は2番まであり、両番とも校名の「西浦上中学」が登場する。
- 校区
- 長崎市立西浦上小学校、川平小学校、女の都小学校区[1]。
沿革
[編集]- 前史(西浦上国民学校 高等科)
- 長崎市立西浦上小学校#沿革を参照。
- 前史(北青年学校)
- 1912年(大正元年)10月 - 西浦上国民学校に「西浦上実業補習学校」が併設される。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併設の西浦上実業補習学校が「西浦上青年学校」に改称。
- 1944年(昭和19年)3月31日 - 山里青年学校[2]と統合され、「北青年学校」[3]と改称。
- 正史
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 国民学校の初等科が改組され、長崎市立西浦上小学校となる。
- 国民学校の高等科および北青年学校が改組され、「長崎市立西浦上中学校」(新制中学校、現校名)となる。
- 1953年(昭和28年)6月3日 - 長崎大学学芸学部(現・教育学部)が大村から長崎に移転するのに伴い、長崎大学学芸学部代用附属中学校となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 代用附属中学校としての扱いが解除される。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 長崎市立岩屋中学校の新設により、一部生徒を移す。
アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 長崎大学(文教キャンパス)附属幼稚園・小学校・中学校
- 長崎市立西浦上小学校
- 純心中学校・純心女子高等学校
- 浦上警察署
- 長崎市消防局北消防署
- 浦上川
- 浦上トンネル(長崎バイパス、川平インターチェンジと接続)
- 西浦上トンネル
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 長崎市 公立小中学校 通学区一覧(PDF) - 長崎市役所ウェブサイト
- ^ 山里国民学校に併設されていた。
- ^ この時、長崎市内の青年学校が統合され、東青年学校(片淵)・南青年学校(戸町)・西青年学校(朝日)・北青年学校(西浦上)の4校となった。
参考文献
[編集]関連事項
[編集]- 長崎県中学校一覧
- LINEのアカウント(情報屋)http://line.me/ti/p/@rzx3235d