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長山祐一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
長山 祐一郎
時代 江戸時代明治時代
幕府 江戸幕府
氏族 長山氏
父母 父:長山直候
浅野次郎⼋の娘
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長山 佑一郎(ながやま ゆういちろう)は、幕末期の日本武士幕臣)、旗本通称は鑑太郎とも。禄高1350石。

略歴

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旗本・長山直候の実子として生まれる。安政6年(1859年)に江戸城四季之間にて徳川家茂御目見し、父から家督を相続する[1]

慶応2年12月晦日(1867年2月4日)に陸軍奉行並支配から歩兵差図役頭取になる[2]

明治維新後、静岡藩主となった徳川宗家16代家達にしたがって静岡に移り、同藩士となる[3]。明治2年(1872年)に府中奉行支配割付となり[4]、同年二等勤番となった[5]

脚注

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  1. ^ 須藤(藤岡屋)由蔵『藤岡屋日記』
  2. ^ 大日本近世史料『柳営補任 巻之十二』東京大学史料編纂所刊行
  3. ^ 静岡士族名簿”. 静岡県立中央図書館デジタルライブラリー. 2022年12月28日閲覧。
  4. ^ 前田匡一郎『駿遠へ移住した徳川家臣団 第五編』
  5. ^ 静岡市『静岡市史近代史料』 1969 年発行