長尾淳三
長尾 淳三 ながお じゅんぞう | |
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生年月日 | 1952年3月15日(72歳) |
出生地 | 日本 大阪府東大阪市 |
出身校 |
大阪市立大学大学院創造都市研究科 静岡大学 |
所属政党 | 日本共産党 |
親族 | 父・長尾一郎(東大阪市議) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1998年(平成10年)7月12日 - 2002年(平成14年)7月11日 2006年(平成18年)7月12日 - 2007年(平成19年)9月14日 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1979年(昭和54年) - 1997年(平成9年) |
長尾 淳三(ながお じゅんぞう、1952年〈昭和27年〉3月15日[1] - )は、日本の政治家。大阪府東大阪市市長(第10・12代)で、政令指定都市や中核市で初の日本共産党員市長[2][3]。共産党市議の父の地盤を世襲した「共産党のエリート[4]」で東大阪市議会議員(5期)など務めた。
略歴
[編集]東大阪市出身、大阪府立八尾高等学校卒業[5]。静岡大学を卒業後、共産党系大阪民主新報の記者となる[6]。
1979年(昭和54年)日本共産党の東大阪市議3期12年を務めた父、長尾一郎[7][8][9]の後継として、9月23日に執行の東大阪市議選に日本共産党公認で立候補し、得票率1.73%(得票数3,756)22位で初当選(議員定数56)[10]。以後5期18年間、同党市議団幹事長なども務めた。
市長選に立候補6回、うち当選2回
[編集]1997年(平成9年)、東大阪市長選に日本共産党推薦で立候補。父・一郎が現職の清水行雄に挑んだが、得票率34.51%(得票数5万6,696)に終わり、得票率46.10%(得票数7万5,742)の1万9,046票差で清水が3選を果たした。
しかし、翌1998年に清水が詐欺容疑などで逮捕され、市長3期目の途中で辞職[11]したため、7月12日の出直し東大阪市長選挙に出馬(日本共産党推薦・新社会党支持)。得票率43.49%(得票数9万9,471)で4,847票の僅差で逃げ切り、NHK記者の松見正宣(得票率41.37%、得票数9万4,624)を破って初当選した[12]。
2002年、再選を目指して任期満了に伴う6月30日の東大阪市長選挙に出馬。3候補で争った結果、得票率35.81%(得票数6万5,508)に終わり、前回の市長選挙で下した松見(得票率45.41%、得票数8万3,066)に大差で敗れ、落選した[13]。
2006年、任期満了に伴う7月2日の東大阪市長選挙では、日本共産党東大阪地区委員会など75団体で構成する「明るい東大阪をつくる会」の推薦を受けた形で出馬。保守(自由民主党)分裂選挙となり、自民党と公明党推薦の現職の松見(得票率36.11%、得票数5万0,842)と、前大阪府議会議員の西野茂(府議会議員時代は自民党所属)を破り、わずか979票差(得票率36.80%、得票数5万1,821)で当選[14]、市長に復帰した。
翌2007年9月3日、議員任期満了直前の議会で不信任決議が可決される。長尾は議会解散せず、9月14日に失職した[15]。9月23日投票の市議選では不信任に反対した与党・日本共産党は2倍以上の議席を獲得。一方、不信任に賛成した野党・自民党、公明党は議席を減らした。
同年10月28日の出直し市長選挙に出馬。再び西野茂も出馬し、再び保守票が二分される追い風にもかかわらず、前市議会議長の野田義和(得票率44.06%、得票数7万2,820)に僅差で敗れ、落選した(野田:72,820票、長尾:70,454票、西野:22,014票)[16]。
2011年10月2日、三たび返り咲きを狙い、任期満了に伴う東大阪市長選挙に6回目となる立候補。三たび保守票分裂の追い風を生かせず、西野茂を上回る得票率30.78%(得票数5万7,353)を得たものの、2万9,391票差で現職の野田(得票率46.55%、得票数8万6,744)に惨敗した(野田:86,744票、長尾:57,353票、西野:37,706票、美馬:4,550票)[17]。
人物
[編集]フリージャーナリスト柳原滋雄(日本社会党系「社会新報」元記者)によると、市長に在任中も日本共産党「東大阪地区委員会」に献金。2006年度は51万4,000円だった[18]。
なお、公職のほか2006年にNPO法人八尾ベースボールクラブ(社会人野球クラブ)の名誉顧問(前任は社会党出身の八尾市長、柴谷光謹)などを務め[19]、2015年には「脱原発を目指す首長連合」に大阪府で初めて参加した[20]。
共産党による「革新自治体」自己評価
[編集]長尾の計2期の革新自治体ぶりについて日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』は、多数野党の反発を受けながらも与党・共産党とともに同和行政(同和対策事業)の終結を掲げて同和予算を2億円削減し、同和行政に関連する職員を減らすなど同和利権の根絶に尽力。また前市長から引き継いだ財源不足200億円の削減を目指し、24億円を投入し無駄遣いとされていた上下水道庁舎の建設計画を中止し、介護保険の減免などを実施したと評価している[21][22]。
年譜
[編集]- 1979年(昭和54年) - 9月23日、東大阪市議会議員選挙(日本共産党公認)初当選
- 1997年(平成9年) - 12月7日、東大阪市長選挙(無所属)落選
- 1998年 - 7月12日、東大阪市長選挙(無所属)初当選
- 2002年 - 6月30日、東大阪市長選挙(無所属)落選
- 2005年 - 3月、大阪市立大学大学院創造都市研究科修士課程修了
- 2006年 - 7月2日、東大阪市長選挙(無所属)当選(2期目)
- 2007年 - 10月28日、東大阪市長選挙(無所属)落選
- 2011年 - 10月2日、東大阪市長選挙(無所属)落選
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、291頁。
- ^ 東大阪に共産党員市長、長尾氏再び - 日本共産党衆議院議員穀田恵二の活動日誌2006年(平成18年)7月3日
- ^ 日本初の共産党員市長は東京都狛江市長の矢野裕
- ^ 第三文明社雑誌「第三文明」2007年1月号(2006年12月)
- ^ エコノミスト2017年12月5日 名門高校の校風と人脈(267)八尾高校(大阪府立・八尾市)
- ^ JCP OSAKA-日本共産党大阪府委員会: 民主市政で活路開こう 長尾氏が出馬表明〝人を大切にする市政に〟来秋の東大阪市長選 市民の良識に働き掛けて - 日本共産党大阪府委員会2010年12月24日
- ^ 昭和42年9月24日執行市議会議員選挙 | 東大阪市
- ^ 昭和46年9月26日執行市議会議員選挙 | 東大阪市
- ^ 昭和50年9月21日執行市議会議員選挙 | 東大阪市
- ^ 昭和54年9月23日執行市議会議員選挙 | 東大阪市
- ^ 清水行雄氏死去/元東大阪市長 - 四国新聞2005年12月3日
- ^ 平成10年7月12日執行市長選挙 | 東大阪市
- ^ 平成14年6月30日執行市長選挙 | 東大阪市
- ^ 平成18年7月2日執行市長選挙 | 東大阪市
- ^ 市政だより 平成19年10月1日号 2面(テキスト版) | 東大阪市
- ^ 平成19年10月28日執行市長選挙 | 東大阪市
- ^ 平成23年10月2日執行市長選挙 | 東大阪市
- ^ 日本共産党「東大阪地区委員会」 財政の「10%」を“議員ピンハネ”で賄う。長尾淳三前市長からも「51万円」を徴収 【2006年】2007年10月21日
- ^ NPO法人八尾ベースボールクラブ 八尾BC小史
- ^ 当会に長尾淳三 元・東大阪市長が加入しました。 - Facebook - 2015年10月15日
- ^ “共感よんだ長尾さん 住民犠牲 “体張って市民守る”東大阪市長選”. しんぶん赤旗. (2006年7月4日) 2014年1月12日閲覧。
- ^ ええやんか - 大阪自治労連 - 大阪自治体労働組合総連合2007年10月15日「おおさか自治体の仲間」第225号
関連項目
[編集]- 伏見格之助 - 清水と同じ大阪府立八尾高等学校の先輩で、同じく日本共産党推薦で東大阪市長(第2代)を務めた
- 竹山修身 - 堺市長(第19-21代)。清水と同じ静岡大学卒業(2歳年上)
- 吉田万三 - 東京都足立区長(第5代)。1996年、清水と同じく日本共産党・新社会党推薦で初当選、同じく不信任を決議された
公職 | ||
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先代 清水行雄 松見正宣 |
大阪府東大阪市長 1998年 - 2002年 2006年 - 2007年 |
次代 松見正宣 野田義和 |