コンテンツにスキップ

鐘崎 (宗像市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鐘崎漁港と金の岬
鐘崎漁港のイカ釣り船
織幡神社参道脇にある海女の発祥の地の像

鐘崎(かねざき、かねさき)は、福岡県宗像市玄海地区にある地名である。

概要

[編集]

響灘玄界灘の境である。

鐘崎は宗像地方有数の漁港であり、トラフグヤリイカアジなどの沢山の魚介類が揚げられ、フグ下関産として唐戸市場に出荷される。

西日本海女の発祥の地である[1]

鐘崎盆踊りの口説きは、福岡県無形文化財に指定されている。

金の岬

[編集]
神湊港からの地島と金の岬

鐘崎の金の岬(鐘ノ岬)は『万葉集』で詠まれている(下記)。また、歌舞において道成寺物の派生として地唄荻江節の舞踊ともなっている。新娘道成寺「鐘ヶ岬」など。

源氏物語』の「玉鬘」において、玉鬘が亡き母・夕顔の乳父にあたる大宰大弐に連れられて大宰府に船で下る際に金の岬を通過した際にも、この歌が話題に出されている[2]

ちはやふる 金の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀乃(しかの)すめ神[3]

続日本紀』によると、称徳朝天平神護3年(767年)8月、筑前国宗形郡大領宗形朝臣深津とその妻である竹生王に、金埼船瀬を築造した功により、昇叙が行われている。また『類聚三代格』によると、寛平5年(893年)の太政官符にも「在筑前国宗像郡金埼」として見えている[4]。、

観光名所

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 羽原又吉『漂海民』岩波書店岩波新書〉、1963年。ISBN 4004150744 
  2. ^ 『源氏物語』「玉鬘」より「金の岬過ぎて「我は忘れず』など、世とともの言ぐさになりて、かしこ(=任地[大宰府])に到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、この君(=若君[玉鬘])をかしづきものにて明かし暮らす」
  3. ^ 『万葉集』巻第七1230番
  4. ^ 類聚三代格』巻1「神社事」6条「寛平五年十月廿九日太政官符」

関連項目

[編集]