鎌田富雄
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Tomio Kamata | |
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基本情報 | |
名前 | 鎌田 富雄 |
生年月日 | 1941年11月5日[1] |
身長 | 170 cm (5 ft 7 in)[2] [3] |
体重 | 64 kg (141 lb)[2] [3] |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都[2] [3] |
経歴 |
鎌田 富雄(かまた とみお、1941年11月5日[1] - )は東京都出身[2] [3]の元プロゴルファー。
来歴
[編集]安田春雄の1学年上で、同じ中村寅吉門下で切磋琢磨していた[3]。
砧ゴルフ場所属時の1962年10月にプロテストで1位合格し、砧の閉鎖後は中村が設計した[4]富士小山ゴルフクラブ[5]を経て、浦和ゴルフ倶楽部[6]所属となる[2] [3]。
1968年の関東オープンで10位に入り、参加資格ぎりぎりで1969年のアジアサーキットに参戦[2] [3]。シンガポールオープンでは最終日に激しい争い[3]となり、デビッド・グラハム( オーストラリア)、ガイ・ウォルステンホルム( イングランド)と72ホールの278、通算6アンダー[3]で引き分け、4年ぶり3回目の延長戦に突入[7]。1ホール目でウォルステンホルムが脱落、鎌田は3番ホールで5.4mバーディを決め、グラハムが約2.4mを外して決着[3]し、プレーオフを制して優勝[7]。
帰国後の関東オープンでは謝永郁( 中華民国)・栗原甲子男とプレーオフの末に2位タイ[8]、西日本サーキットBSでは謝敏男(中華民国)・石井裕士・内田繁・村上隆・細石憲二・豊田明夫に次ぐと同時に宮本省三と並んでの7位タイ[9]に入った。
主な優勝
[編集]- 1969年 - シンガポールオープン
脚注
[編集]- ^ a b 鎌田 富雄選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b c d e f 1969年3月10日日刊スポーツ『鎌田、粘って初優勝 6アンダー 3者でプレーオフ』
- ^ a b c d e f g h i j 【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉓】1969年極東サーキットを日本選手が席巻、全7戦5勝
- ^ 【富士小山ゴルフクラブ】富士山の麓、密林盆地の新たな利用法としてゴルフ場が計画され誕生。昭和37年、中村寅吉設計
- ^ 富士小山ゴルフクラブ 公式ホームページ|静岡県御殿場ICから20分
- ^ 浦和ゴルフ倶楽部
- ^ a b “Kamata triumphs”. The Straits Times: p. 20. (10 March 1969)
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 「BSCCの歴史」ブリヂストンカンツリー倶楽部公式ウェブサイト