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鎌田富雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 鎌田 富雄 
Tomio Kamata
基本情報
名前 鎌田 富雄
生年月日 1941年11月5日[1]
身長 170 cm (5 ft 7 in)[2] [3]
体重 64 kg (141 lb)[2] [3]
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都[2] [3]
経歴
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鎌田 富雄(かまた とみお、1941年11月5日[1] - )は東京都出身[2] [3]の元プロゴルファー

来歴

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安田春雄の1学年上で、同じ中村寅吉門下で切磋琢磨していた[3]

砧ゴルフ場所属時の1962年10月にプロテストで1位合格し、砧の閉鎖後は中村が設計した[4]富士小山ゴルフクラブ[5]を経て、浦和ゴルフ倶楽部[6]所属となる[2] [3]

1968年関東オープンで10位に入り、参加資格ぎりぎりで1969年アジアサーキットに参戦[2] [3]シンガポールオープンでは最終日に激しい争い[3]となり、デビッド・グラハムオーストラリアの旗 オーストラリア)、ガイ・ウォルステンホルムイングランドの旗 イングランド)と72ホールの278、通算6アンダー[3]で引き分け、4年ぶり3回目の延長戦に突入[7]。1ホール目でウォルステンホルムが脱落、鎌田は3番ホールで5.4mバーディを決め、グラハムが約2.4mを外して決着[3]し、プレーオフを制して優勝[7]

帰国後の関東オープンでは謝永郁中華民国の旗 中華民国)・栗原甲子男とプレーオフの末に2位タイ[8]、西日本サーキットBSでは謝敏男(中華民国)・石井裕士内田繁村上隆細石憲二豊田明夫に次ぐと同時に宮本省三と並んでの7位タイ[9]に入った。

主な優勝

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  • 1969年 - シンガポールオープン

脚注

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外部リンク

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