コンテンツにスキップ

鍋島直亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
鍋島直亮
時代 江戸時代後期
生誕 文政12年1月9日1829年2月12日
死没 元治元年2月27日1864年4月3日
改名 三平(幼名)→直亮
戒名 謙光院殿恭岳良温大居士
墓所 佐賀県小城市鷺原の祥光山星巌寺
官位 従五位下加賀守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂
肥前小城藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島直堯、母:日出島宗完娘・お瀧
兄弟 直亮、女(鍋島直紀正室)
正室:唯証院鍋島直永娘)
娘(鍋島直虎正室)、養子:直虎
テンプレートを表示

鍋島 直亮(なべしま なおすけ)は、江戸時代後期の大名肥前国小城藩10代藩主。官位従五位下加賀守

略歴

[編集]

文政12年(1829年)正月9日、9代藩主・鍋島直堯の長男として小城にて誕生。

嘉永3年(1850年)4月、父の隠居により跡を継いだ。嘉永6年(1853年)、エフィム・プチャーチン率いるロシア帝国艦隊の長崎来航に伴い、帰国と長崎警固を命ぜられた。藩医に西洋医学の研究を命じ、後年、漢方医から蘭方医に切り替える基礎を築いた。万延元年遣米使節に藩士を派遣し、同年、宗家である佐賀藩に倣い洋式軍備の軍制改革を行なった。

元治元年(1864年)2月27日、36歳で死去した。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の子で養子の直虎が跡を継いだ。

系譜

[編集]

父母

正室

子女

養子