鍋島直亮
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政12年1月9日(1829年2月12日) |
死没 | 元治元年2月27日(1864年4月3日) |
改名 | 三平(幼名)→直亮 |
戒名 | 謙光院殿恭岳良温大居士 |
墓所 | 佐賀県小城市鷺原の祥光山星巌寺 |
官位 | 従五位下加賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定、家茂 |
藩 | 肥前小城藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島直堯、母:日出島宗完娘・お瀧 |
兄弟 | 直亮、女(鍋島直紀正室) |
妻 | 正室:唯証院(鍋島直永娘) |
子 | 娘(鍋島直虎正室)、養子:直虎 |
鍋島 直亮(なべしま なおすけ)は、江戸時代後期の大名。肥前国小城藩10代藩主。官位は従五位下・加賀守。
略歴
[編集]文政12年(1829年)正月9日、9代藩主・鍋島直堯の長男として小城にて誕生。
嘉永3年(1850年)4月、父の隠居により跡を継いだ。嘉永6年(1853年)、エフィム・プチャーチン率いるロシア帝国艦隊の長崎来航に伴い、帰国と長崎警固を命ぜられた。藩医に西洋医学の研究を命じ、後年、漢方医から蘭方医に切り替える基礎を築いた。万延元年遣米使節に藩士を派遣し、同年、宗家である佐賀藩に倣い洋式軍備の軍制改革を行なった。
元治元年(1864年)2月27日、36歳で死去した。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の子で養子の直虎が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 唯証院 ー 鍋島直永の娘
子女
- 春子 ー 鍋島直虎正室
養子