鉄砲洲川
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鉄砲洲川(てっほうずがわ)は、かつて現在の東京都中央区を流れていた河川(水路)である。鉄炮洲川とも書かれる。現在は鉄砲洲通りなどになっている。
歴史
[編集]寛永頃に開削された掘割といわれている。関東大震災後がれき処理のため1929年(昭和4年)に埋め立てられた。
地理
[編集]今の地名でいうと湊二丁目12・13番、湊三丁目5番から11番・14番・15番、明石町3番から9番・12番の間を流れていた。この頃の中央区は縦横に掘割が流れていて、鉄砲洲川もその一つである。隅田川から明石町の水路(明石堀)へと繋がっていた。
橋梁
[編集]隅田川側より
- 鉄砲洲橋(北緯35度40分12.9秒 東経139度46分51秒 / 北緯35.670250度 東経139.78083度) - 鐵炮洲橋と書かれていた。
- 小橋(北緯35度40分13.39秒 東経139度46分49.3秒 / 北緯35.6703861度 東経139.780361度)
- 見当橋(北緯35度40分9.3秒 東経139度46分43.9秒 / 北緯35.669250度 東経139.778861度) - みとめばし、見富橋とも書かれる。
- 浦堀橋(北緯35度40分3.5秒 東経139度46分41.4秒 / 北緯35.667639度 東経139.778167度)
- 新湊橋(北緯35度39分59.5秒 東経139度46分40秒 / 北緯35.666528度 東経139.77778度)
関連項目
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