鈴木靖
鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日 - )は、北海道鵡川町(現北海道むかわ町)出身のスピードスケート選手。
人物
[編集]1962年(昭和37年)5月15日、北海道勇払郡鵡川町(現むかわ町)出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校を経て三協精機(現日本電産サンキョー)へ入社。
高校時代よりスピードスケート選手として頭角を現し、高校1年時に2000mリレーにて高校日本新記録を樹立、その後も、500m1000mで表彰台に上る。数々の世界大会に出場。1984年のサラエボオリンピック日本代表として男子500mに出場した。500m、1000m両距離に強さがあったスプリンター。
1983年ドイツ国際大会・中国国際大会では500m優勝の実績もある。
同世代の黒岩彰の影に隠れた存在であったが、全日本実業団スピードスケート大会で3連覇の実績を持っている。
現役引退後は指導者となり、現在は北海道札幌市に拠点を置くスケートチーム『Vortex』の代表、JR北海道スケートチームの監督も務めている。
【JADAアスリート委員】 公益財団法人 日本アンチ・ドーピング機構のアスリート委員として、クリーンなアスリート、スポーツの未来を創る「ロールモデル」アスリートとして活動をしている。
【北海道オール・オリンピアンズ】 2012年(平成24年)に橋本聖子を代表とする北海道オリンピアンズを立ち上げ、スポーツを通じた世界平和と国際的友好親善に貢献するとともに、我が国におけるスポーツの振興に寄与することを目的に活動している。
2016年からパラリンピアンを迎え、名称を北海道オリンピアン・パラリンピアンズに変更。
2017年から全てのオリンピアンを迎え、北海道オール・オリンピアンズに改名
【救急医療・災害医療・教育】 昭和62年より消防署に勤務。平成6年、消防を退職し北海道消防学校にて救急教育に従事、平成25年まで北海道の救急隊員の教育や救急救命士の教育を行った。
平成7年から札幌医科大学にて解剖学・生理学を学ぶ。
札幌医科大学DMAT隊員として、国内で発生した東日本大震災や熊本地震に派遣、また、JICA国際緊急医療チームとしてインドネシア災害へ派遣。
現在
[編集]【スケート連盟の役職】
- 公益財団法人日本スケート連盟医事委員会救護部会副部長
- 公益財団法人日本スケート連盟医事委員会アンチ・ドーピング部会委員
- 一般財団法人北海道スケート連盟評議員
- 一般財団法人北海道スケート連盟スピード委員会副委員長
- 一般財団法人北海道スケート連盟強化コーチ
- 札幌スケート連盟 理事長
- 札幌スケート連盟 スピード委員長
【医療関係】
- 日本集団災害医学会会員 災害調査委員会委員
- 北海道救急医学会評議員
- 北海道救急医学会 北海道マラソン準備委員会委員長
- 札幌医科大学DMATチーム
- 日本臨床救急医学会 会員
- JICA 国際緊急援助隊医療チームに所属、インドネシア地震災害ではニアス島で活動した。
選手経歴
[編集]- 1982年 : 世界スプリント選手権大会代表
- 1983年 : ゴールデンスケート(ドイツ)500m:金メダル
- 1984年 : 世界スプリント選手権大会代表
- 1984年 : サラエボオリンピック(男子500m:12位)
- 1985年 : 国際大会(中国:ハルピン)(男子500m:金メダル)
- 1982年 - 1984年 : 全日本実業団スピードスケート競技会 500m 3連覇
表彰
[編集]- 長野県スケート連盟栄光章(1982年)[1]
脚注
[編集]- ^ 長野県スケート連盟功績表彰者 長野県スケート連盟
外部リンク
[編集]- Sketing Taem Vortex - ウェイバックマシン(2015年1月7日アーカイブ分)