金秀学
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金 秀学(キム・スハク、朝鮮語: 김수학/金秀學、1896年5月21日 - 1967年)は、大韓民国の官僚、政治家、銀行家。第2代商工部次官、第2代韓国国会議員[1][2]。
本貫は清道金氏、字は亨魯(ヒョンノ、형로)、号は蘿谷(ナゴク、나곡)[1]。
経歴
[編集]全羅北道高敞郡出身。京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。湖南銀行木浦支部長、1948年10月4日から1949年9月15日までは第2代商工部次官を務め、他には朝鮮銀行重役、商工銀行理事、韓国興業銀行理事、大韓無尽金融株式会社社長などを務めた。1950年の第2代総選挙で高敞郡選挙区から無所属で出馬し当選し、国会財政経済分科委員長を務めた。その後は民主国民党の中堅となったが、釜山政治波動の後に離党し自由党に参加した[1][2][3]。
脚注
[編集]- ^ a b c “김수학(金秀學)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2024年1月16日閲覧。
- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年1月15日閲覧。
- ^ “자료일람 | 한국사데이터베이스”. 2023年1月16日閲覧。