金沢市立十一屋小学校
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金沢市立十一屋小学校 | |
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北緯36度32分43.1秒 東経136度39分38.8秒 / 北緯36.545306度 東経136.660778度座標: 北緯36度32分43.1秒 東経136度39分38.8秒 / 北緯36.545306度 東経136.660778度 | |
過去の名称 |
在明小学校 長坂新小学校 野南尋常小学校・野北尋常小学校 野尋常小学校 金沢市十一屋町尋常小学校 金沢市十一屋町国民学校 金沢市立十一屋町小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
設立年月日 | 1876年(明治9年)11月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B117220100027 |
校地面積 | 10,282[1] m2 |
校舎面積 | 6,546[1] m2 |
所在地 | 〒921-8106 |
外部リンク |
www14 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金沢市立十一屋小学校(かなざわしりつ じゅういちやしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Juichiya Elementary School)は石川県金沢市十一屋町に所在する公立小学校。
かつて校名は、所在地の町名と同じ十一屋町小学校であったが、1959年(昭和34年)に現在の校名へ変更された。
沿革
[編集]- 1876年(明治 9年)11月[1][5] - 在明小学校創立。所在地は石川郡富樫郷長坂新村(のちの長坂町)[6]。
- 1887年(明治20年)4月1日 - 簡易科長坂新小学校と改称[7]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、長坂新村、十一屋村などの区域をもって、野村が発足。
- 1894年(明治27年)10月1日 - 野南尋常小学校および野北尋常小学校となる[7]。
- 1908年(明治41年)10月1日 - 南北の両校を統合して、野尋常小学校を設立[7]。
- 1925年(大正14年)[注釈 1]4月1日 - 石川郡野村の金沢市編入に伴い、金沢市十一屋町尋常小学校と改称。
- 1933年(昭和 8年)7月1日 - 新校舎落成(木造校舎)。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市十一屋町国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、金沢市立十一屋町小学校と改称。当時の所在地表記:金沢市十一屋町カ60番地[8]。
- 1954年(昭和29年)
- 1958年(昭和33年)9月15日 - 平和町での肢体不自由児施設「石川整肢学園」開設に伴い、同園内に特殊学級を設置(金沢市立野田中学校との開設)[11]。
- 1959年(昭和34年)[注釈 3]4月1日 - 金沢市立十一屋小学校と改称[12][13]。金沢市立泉野小学校が当校から分離して独立し、十一屋町小学校泉野分校を廃止。
- 1963年(昭和38年)6月1日[14] - 住居表示実施による町名変更で(新)十一屋町が成立し、所在地の表記が金沢市十一屋町3番45号(現行)となる。
- 1966年(昭和41年)11月8日 - 創立90周年記念式典を挙行[15]。
- 1975年(昭和50年)12月3日 - 校舎改築落成式を挙行。6年がかりの建設で、工費は5億7820万円[16]。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 金沢市立長坂台小学校新設により、十一屋小学校の通学区域から野田町、長坂町、長坂台、平和町1丁目、同3丁目を長坂台小学校の通学区域に変更。
- 1982年(昭和57年)1月1日 - 金沢市立十一屋小学校平栗分校を廃止。
- 1997年(平成 9年)11月1日 - 正門・前庭(十一屋スクエアー)完成。
- 2016年(平成28年)11月12日 - 創立140周年記念音楽集会を開催[17]。
学区
[編集]笠舞町(ナの部に限る)、若草町(4番~28番に限る)、清川町(10番23号~10番30号に限る)、法島町、十一屋町(1番~10番、11番7号~11番20号、12番6号~12番26号、13番~16番に限る)、平和町2丁目、大桑町(イ、ロ甲、ロ乙、ハ、ム、ヰ、ノ、ク、ヤ、マ、上西欠、下西欠、平、中尾山、中平、中の大平、上猫下、猫下、開、和、御所谷に限る)、つつじが丘、野田町(中平ムに限る)、西大桑町、平栗[18]
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 学校ホームページにある"学校の歴史"では、金沢市十一屋町尋常小学校への改称は、「大正2年4月1日」と記されているが(2024年9月8日閲覧、太字強調は引用者)、石川郡野村の金沢市への編入は「大正14年4月1日」である。
- ^ このころは、終戦後の混乱がまだ続いていた時期で、校下には大陸や朝鮮半島からの引き揚げ者などの新居住者と旧来の居住者が合わさって急激な都市化による人口増加が生じており、十一屋町小学校(当時)は「市内で最も荒れた小学校」と呼ばれたという[9]。その後、さらに第一次ベビーブームによる児童数増加(全国的に1958年がピーク)が続いた。
- ^ 金沢市立十一屋町小学校から金沢市立十一屋小学校への改称は、学校ホームページにある"学校の歴史"では、「昭和37年4月1日」と記されているが(2024年9月8日閲覧、太字強調は引用者)、『金沢市史――現代編 下巻』や『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』に照らすと、正しくは「昭和34年4月1日」である。
出典
[編集]- ^ a b c d “学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 34. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
- ^ “金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年9月8日閲覧。
- ^ 学校の紹介 - 学校の歴史(金沢市立十一屋小学校 旧ホームページ)(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “学校概要 - 学校の歴史”. 金沢市立十一屋小学校. 2024年9月8日閲覧。
- ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、472頁。NDLJP:9569470/251。1967年4月時点の学校一覧を参照。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、39頁。NDLJP:2994360/24。
- ^ a b c 石川郡自治協会 編『石川県石川郡誌 (石川県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年10月、1218頁。NDLJP:9539865/650。
- ^ 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月、642頁。NDLJP:9524018/334。
- ^ 「農傘寿記念、最後のクラス会 金沢・旧十一屋町小 昭和31年卒」『北國新聞』2023年10月20日。
- ^ 金沢市史 現代編 下巻(1969), pp. 469–470.
- ^ 石川県特殊教育百年史編さん委員会 編『石川県特殊教育百年史』石川県教育センター、1981年3月、107頁。NDLJP:12120410/68。日付については230頁を参照。なお、社会福祉法人石川整肢学園の法人沿革では同園の設置日は9月16日と記載。
- ^ 金沢市史 現代編 下巻(1969), p. 471.
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、389頁。NDLJP:2994372/199。
- ^ 『住居表示による町名変更一覧』日本加除出版、1966年10月、146頁。NDLJP:2995634/80。
- ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 507.
- ^ “市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年9月8日閲覧。
- ^ 「140周年記念音楽集会」『学校便り わかたけ』平成28年度第13号、金沢市立十一屋小学校、2016年11月17日。
- ^ “金沢市立小学校児童通学区域”. 金沢市. 2022年8月29日閲覧。
- ^ 近代日本を支えた偉人たち 【木村 栄】(金沢ふるさと偉人館公式ページ)2022年11月14日閲覧
外部リンク
[編集]- 金沢市立十一屋小学校
- 金沢市立十一屋小学校 旧ホームページ(2020年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project