金城霊澤
表示
金城霊澤(きんじょうれいたく)は、石川県金沢市にある泉である。兼六園随身坂付近の金沢神社のそばにあり、「金沢」の地名の由来とされる。
構造
[編集]歴史
[編集]古くは「金洗いの沢」(かなあらいのさわ)と呼ばれていたとされるが(#芋掘り藤五郎の伝説を参照)、金沢神社伝来の棟札では寛政6年(1794年)には金城霊澤と記されている[1]。
文政2年(1819年)に加賀藩十二代藩主前田斉広(まえだなりなが)が兼六園の東南端の泉の周囲に丸い石の井戸胴を造り、瓦屋根の宝形造の覆屋をつくって現在の形となった。井戸胴は内径が153センチメートル、深さ180センチメートル、敷石は戸室石で、加賀藩で特別のところに使われたという四半模様になっている。天井には、竜の絵が描かれている。かつては狩野探幽の作品があったと伝えられるが、傷みが激しかったため昭和初期に旧・山中町(現在の加賀市)出身の画家広田百豊が描き直したものとなっている[2]。
欄間の扁額は市河米庵の書で、彫ったのは武田友月[3]といわれている[4][5]。
1936年(昭和11年)の大改修を経て[6]、1964年(昭和39年)に復元改築された[7]。
芋掘り藤五郎の伝説
[編集]昔々、山科の地に藤五郎と言う男がいた。いつもいつも、山芋掘りをしていた。山芋を洗った後には、沢に砂金が残っていた。それでその沢を「金洗いの沢」と言うようになった。[8]
アクセス
[編集]石川県立美術館の東向かいの随身坂からすぐ。
脚注
[編集]- ^ 兼六園全史 1976, p. 215.
- ^ “金色の龍 下絵見つかる 兼六園「金城霊澤」天井絵 作者広田百豊の故郷で 加賀市美術館で公開 7日から”. 朝日新聞: p. 31. (2014年6月5日). オリジナルの201-10-29時点におけるアーカイブ。
- ^ “武田秀平(たけだ しゅうへい)とは”. コトバンク. 2019年6月12日閲覧。
- ^ 兼六園. 石川県. (1987年2月28日)
- ^ 兼六園全史 1976, p. 216.
- ^ 兼六園全史 1976, p. 217.
- ^ 特別名勝兼六園 1997, p. 317.
- ^ 金沢謎解き街歩き86ページ
参考文献
[編集]- 兼六園全史編纂委員会, 石川県公園事務所 編『兼六園全史』兼六園観光協会、1976年12月31日。
- 石川県兼六園管理事務所「兼六園」編集委員会 企画編集. 『兼六園 : 特別名勝』兼六園観光協会, 1987.3
- 橋本確文堂企画出版室 編『特別名勝兼六園―その歴史と文化―・本編』橋本確文堂、1997年2月12日。
外部リンク
[編集]座標: 北緯36度33分37.42秒 東経136度39分44.39秒 / 北緯36.5603944度 東経136.6623306度