釐王 (周)
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釐王 | |
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周 | |
王 | |
王朝 | 周 |
在位期間 | 前681年 - 前677年 |
都城 | 王城(洛邑) |
姓・諱 | 姫胡斉 |
諡号 |
釐王 僖王 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前677年 |
父 | 荘王 |
釐王[1](きおう、? - 紀元前677年)は、中国の春秋時代の周の王。姓は姫、名は胡斉。
生涯
[編集]周の荘王の子として生まれた[2]。父王から寵愛を受けられず、異母弟の王子頽(姫頽)と対立していた[要出典]。紀元前682年、荘王が死去すると、釐王は後を嗣いで周王として即位した[2]。
釐王は文武の制度を変更し、黒と黄の華麗な飾りを作り、宮室を広壮にし、輿や馬を贅沢なものにしたため、孔子に非難された[3]と伝わる。
紀元前678年、釐王は虢公を派遣して曲沃の武公に策命し、晋侯に封じた[4]。
紀元前677年、釐王は死去し、子の姫閬(恵王)が後を嗣いだ[2]。