コンテンツにスキップ

野間郵便局旧局舎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野間郵便局旧局舎
情報
設計者 森田定吉
施工 杉村定次郎
構造形式 木造、菱葺
建築面積 95 m² [1]
階数 平屋建一部2階建[1]
竣工 1931年
所在地 470-3235
愛知県知多郡美浜町野間須賀91-1他
座標 北緯34度46分9.2秒 東経136度50分48.3秒 / 北緯34.769222度 東経136.846750度 / 34.769222; 136.846750 (野間郵便局旧局舎)座標: 北緯34度46分9.2秒 東経136度50分48.3秒 / 北緯34.769222度 東経136.846750度 / 34.769222; 136.846750 (野間郵便局旧局舎)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2015年11月17日[1]
テンプレートを表示

野間郵便局旧局舎(のまゆうびんきょくきゅうきょくしゃ)は、愛知県知多郡美浜町野間須賀91-1他にある建築物郵便局局舎)。

1931年(昭和6年)に3代目野間郵便局として竣工し、1978年(昭和53年)頃まで局舎として使用された。2015年(平成27年)に登録有形文化財に登録された。對雙鑑浦堂(たいそうかんぽどう)とも呼ばれる。

歴史

[編集]

野間郵便局の歴史

[編集]

知多郡野間村(現・美浜町)は千石船の廻船業で栄えた町である[2]

1880年(明治13年)、廻船問屋や味噌醤油製造業を営んでいた森田伊助は、自宅(マルイ本家)の一部を事務室に改修して五等郵便局とし、初代野間郵便局長となった[3]。1886年(明治19年)3月の地方逓信官官制によって三等郵便局となると[3]、1887年(明治20年)12月には隣接する新マルイ家を野間郵便局とした[2]。江戸時代末期から明治初期に建てられた新マルイ家は木造つし2階建であり、弁柄を用いた格子や黒板塀に囲まれたレンタルスペース「旧森田定吉邸」として現存する[2]

1901年(明治34年)には洋風局舎を建てて移転し、1919年(大正8年)には名古屋逓信局の管轄局舎となった[3]。この通りが野間村の目抜き通りであり、かつては映画館や野間村役場もあった[4]

竣工とその後

[編集]
野間を通る国道247号

1931年(昭和6年)には目抜き通りに並行して国道247号が開通したため[4]、森田伊助の孫である3代目局長の森田定吉は、国道247号沿いに洋風建築の局舎を建てた[5]。大工は杉村定次郎[6]。設計は森田定吉自身であるとされる[4]

国道247号沿いの野間郵便局近くには商店街ができ、下駄屋、畳屋、魚屋、バスターミナルなどが軒を連ねた[4]養鶏家の榎本誠は森田家出身であり、野間郵便局に勤務していた時期もある[7][8]

1941年(昭和16年)には特定郵便局となり、1978年(昭和53年)まで局舎として使用された[3]。同年には隣接地に野間郵便局の新局舎が建てられた。

近年の動向

[編集]

旧局舎の所有者でもある野間郵便局の森田香子局長は、2004年(平成16年)頃から旧局舎でコンサートなどを催し、建物の保存の必要性を発信している[9]。2011年(平成23年)5月21日、地元有志によって旧局舎で寄席(落語会)が催され、桂三若が「鶴亀算」などを題材とする落語を打った[9]

2015年(平成27年)11月17日、「野間郵便局旧局舎」として登録有形文化財に登録された[1]。なお、同じ知多半島では同時に雅休邸(旧岡田医院)も登録されている。2013年(平成25年)から愛知登文会などが毎年秋に開催している「あいちのたてもの博覧会」(あいたて博)では、野間郵便局旧局舎も特別公開の対象となっている[2]

近年には對雙鑑浦堂(たいそうかんぽどう)という名称が与えられ、バイオリンコンサートなど様々な催しに用いられている[6]

建築

[編集]

外観

[編集]
2色で塗られた壁面

伊勢湾岸を南北に通る国道247号沿いにある[3]木造平屋建一部2階建、桁行5間半、梁間5間[3]

屋根は菱葺(文献によってはスレート葺[1][3])であり、南北に屋根窓を有する[6]。玄関は半切妻屋根であり、玄関の左右には洋風の上げ下げ窓がある。腰壁は紅梅色に塗られた竪板張りであり、壁面上部は白色に塗られた横板張りである[6]

内部

[編集]

小屋組は和洋折衷であり、手前側は木造トラス構造、奥側は木造和小屋組となっている[2]。1階の平面はほぼ正方形であり、手前側が郵便事務室、奥側が荷受・区分などの作業場や休憩室となっている[2]。玄関部分には公衆室(土間)が半間分突出している[3]

郵便事務室の南側壁際には電話交換機が並べられ、3人から4人の女性電話交換手が対応していた[6]。かつては主屋の西側に電話工手室もあった[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 野間郵便局旧局舎 文化遺産オンライン
  2. ^ a b c d e f g 『保存情報4』日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会、2023年、90-91頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 野間郵便局旧局舎 愛知県
  4. ^ a b c d 村瀬良太『あいちのたてもの まちのシンボル編』愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会、2024年、26-27頁。 
  5. ^ 『保存情報4』日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会、2023年、92-93頁。 
  6. ^ a b c d e 瀬口哲夫『街の歴史建築を訪ねて』ぐんBOOKS、2022年、144-145頁。 
  7. ^ 「逓信出身 白色レグホンの改良家 榎本誠」『逓信協会雑誌』、逓信協会、1961年5月、52-53頁。 
  8. ^ 年間に365個の卵を産む鶏を世界で初めて作った養鶏家。
  9. ^ a b 「レトロな局舎生かして保存を 旧野間郵便局 有志が落語家招き寄席」『中日新聞』2011年5月22日。

参考文献

[編集]
  • 瀬口哲夫『街の歴史建築を訪ねて』ぐんBOOKS、2022年。 
  • 『保存情報4』日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会、2023年。 
  • 村瀬良太『あいちのたてもの まちのシンボル編』愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会、2024年。 

外部リンク

[編集]