野辺地純
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Jun NOBECHI | |
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基本情報 | |
名前 | 野辺地 純 |
生年月日 | 1940年2月8日(84歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 60 kg (132 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
経歴 |
野辺地 純(のべち じゅん、1940年2月8日 - )は北海道出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]小樽カントリー倶楽部所属時代には弟・鼎をプロゴルファーに誘い、大学卒業後に銀行に就職が決まっていた鼎は小樽CCの研修生となる[1]。
1967年には第1回北海道オープンを制し、1970年には同大会2勝目を挙げる。鼎も1971年と1975年に制して兄弟で4勝をマークし、1978年には兄弟揃って上原宏一の4位タイに入った[2]。
1971年の全日本プロダブルスでは安田春雄とペアを組み、内田繁・石井裕士ペアとのプレーオフの末に2位と健闘[3]。
1975年には第1回札幌オープンを制し、1976年の第2回では鼎が制して兄弟制覇、純は1984年にも制し、同大会も兄弟で4勝した[4]。
1975年の札幌とうきゅうオープンでは初日を中村通・青木功・謝敏男(中華民国)・石井冨士夫・杉原輝雄・松田司郎、ビル・ダンク(オーストラリア)、沼澤聖一・宮本省三と並んでの7位タイ[5]でスタートし、3日目には杉本英世・宮本・沼澤・前田新作・中村・鷹巣南雄・今井昌雪・森憲二と並んでの9位タイ[6]とし、最終日には陳健忠(中華民国)・井上幸一・村上隆・青木と並んでの4位タイ[7]に浮上。
1989年の全日空オープン[8]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の1992年にはミズノシニアクラシックで内田・戸川一郎・豊田明夫と並んでの9位タイ[9]、スポーツ振興カップで榎本七郎・ダンクと並んでの10位タイ[10]に入った。
主な優勝
[編集]- 1967年 - 北海道オープン
- 1970年 - 北海道オープン
- 1975年 - 札幌オープン
- 1984年 - 札幌オープン
脚注
[編集]- ^ a b PGAリポート89
- ^ 朝日新聞縮刷版p881 昭和53年8月28日朝刊19面
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表 - 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 歴代優勝者(2019年-1975年) - SAPPORO OPEN GOLF official website
- ^ 朝日新聞縮刷版p392 昭和50年6月13日朝刊16面「陳健忠トップ 2位に石井、森ら4人 とうきゅうオープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p459 昭和50年6月15日朝刊15面「村上が首位奪う 5打内にひしめく17人 とうきゅうオープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p486 昭和50年6月16日朝刊18面「最終パットで優勝決めた マーシュ競り勝つ 宮本・謝永の猛追かわす とうきゅうオープン・ゴルフ」
- ^ 野辺地 純選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 各日最終成績 第3回ミズノシニアクラシックゴルフトーナメント
- ^ 各日最終成績 92スポーツ振興カップ