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野村嘉六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野村嘉六
のむら かろく
生年月日 1873年8月10日
出生地 日本の旗 日本 富山県婦負郡鵜坂村
(現・富山県富山市
没年月日 (1952-01-17) 1952年1月17日(78歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都豊島区
出身校 東京法学院卒業
(現・中央大学
前職 弁護士
所属政党立憲国民党→)
立憲同志会→)
憲政会→)
立憲民政党→)
翼賛議員同盟→)
同和会

在任期間 1946年7月8日 - 1947年5月2日

選挙区 (富山県郡部選挙区→)
(富山県第5区→)
富山県第1区
当選回数 10回
在任期間 1912年5月15日 - 1942年4月29日

在任期間 1934年12月20日 - 1935年5月14日

在任期間 1921年5月 - ?

選挙区 婦負郡選挙区
当選回数 1回
在任期間 1911年3月 - 1911年9月
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野村 嘉六(のむら かろく、1873年明治6年〉8月10日[1][2] - 1952年昭和27年〉1月17日[2][3][4][5])は、日本の政治家弁護士[1][6][7]衆議院議員立憲国民党立憲同志会憲政会立憲民政党[2]翼賛議員同盟[4])、富山市長貴族院勅選議員などを務めた。幼名は安次郎[2]

経歴

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富山県婦負郡鵜坂村(現在の富山市)生まれ[1]1893年(明治26年)東京法学院(現在の中央大学)卒業[2][4]1898年(明治31年)に弁護士試験に合格し、1902年(明治35年)から判事として、富山・敦賀大津の裁判所で勤務した[2]1906年(明治39年)に退官して富山市で弁護士を開業した[2]。富山弁護士会長も務めた[8]

1911年(明治44年)3月、富山県会議員補欠選挙に婦負郡選挙区から立候補して当選した[2]。同年9月に退任した[2]

1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に当選し、1942年(昭和17年)まで連続10回当選を重ねた[4]。その間、加藤高明内閣第1次若槻内閣商工参与官を、濱口内閣文部政務次官を務めた[9][10]。また、1921年大正10年)5月には富山市会議員に当選した[2]。さらに、1934年(昭和9年)12月20日には富山市長に選出された[11]1935年(昭和10年)5月14日に富山市長を辞職した[12]

1946年7月8日、貴族院議員に勅選され[13]同和会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]

1952年1月17日22時15分、胃潰瘍のため東京都豊島区の自宅で死去した[5]

脚注

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  1. ^ a b c 改正衆議院議員選挙法 : 附・現代議士略歴 84コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d e f g h i j 富山県議会史 第2巻 523コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』151頁。
  4. ^ a b c d 議会制度百年史 衆議院議員名鑑 278コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 国会 5(2)(46) 31コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 代議士及候補閲歴 : 附・東京府市会議員 39コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 代議士及候補閲歴 : 附・東京府市会議員 40コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 産業之日本 422コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 帝国議会衆議院公報 第52回 31コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 帝国議会衆議院公報 第59回 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 富山市史 411コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ 富山市史 416コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 『官報』第5847号、昭和21年7月12日。

参考文献

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  • 北陸日日新聞社『富山県名鑑』1936年。
  • 衆議院事務局『衆議院要覧(乙) 昭和12年11月増訂』1937年。
  • 貴族院事務局『貴族院要覧(丙) 昭和21年12月増訂』1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


公職
先代
金山米次郎
富山市長
第14代:1934年-1935年
次代
平田紀一