野々村雅春
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 生年不詳 |
死没 | 慶長20年5月7日(1615年6月3日) |
改名 | 野々村吉保→雅春 |
別名 | 吉保、吉安、通称:伊予守 |
官位 | 伊予守 |
主君 | 豊臣秀吉→秀頼 |
氏族 | 野々村氏 |
兄弟 | 正成、雅春 |
野々村 雅春(ののむら まさはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣氏の家臣。大坂七手組の1人。織田信長の黒母衣衆の野々村三十郎の弟。諱は吉保(よしやす)ともいう。
略歴
[編集]豊臣秀吉に仕えて、黄母衣衆に選ばれる。天正18年(1590年)の小田原征伐では、武蔵・下総・上総の後北条氏の諸城攻略で功を挙げた。
慶長3年(1598年)の秀吉死後、秀頼に仕え、大坂七手組の1人となって、3,000石の知行を賜る。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、大坂城惣構森村口を守備した。翌年の同夏の陣では、天王寺・岡山の戦いで遊軍として兵1,200を率いて参戦。
『大坂御陣覚書』によると、敗北して城内に退いた堀田盛重(図書)と雅春は(台所より放火された)猛火によって本丸には辿りつけず、二の丸と本丸の間の石垣で自害して果てたという。
参考文献
[編集]- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、619頁。ISBN 4404017529。
- 桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年、70頁。ASIN B000J9GTRU