鄭瑪諾
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鄭瑪諾 | |
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出身地: | マカオ |
職業: | イエズス会司祭 |
各種表記 | |
繁体字: | 鄭瑪諾 |
簡体字: | 郑玛诺 |
拼音: | Zhèng Mǎnuò |
和名表記: | てい マヌエル |
発音転記: | ジョン・マーヌオ |
鄭瑪諾(てい マヌエル、1635年? - 1673年5月26日[1])は、マカオ出身のイエズス会司祭。1650年代から1660年代にかけてヨーロッパに滞在し、西洋の学問を身につけて帰国した。最初の中国人イエズス会司祭であり[2]、17世紀に西洋を訪れた数少ない中国人のひとり。
「瑪諾」は洗礼名のマヌエルないしエマヌエルの音訳。西洋人には「Manuel de Sequeira」と呼ばれた。号は維信。
略歴
[編集]鄭瑪諾に関する文献はほとんど Rouleau (1959) によっている。それによれば、鄭瑪諾は父の代からのキリスト教徒で、ヨーロッパに行くアレクサンドル・ドゥ・ロードに連れられて[3]1645年にマカオを出発した。まずアルメニアにあるドミニコ会の修道院にあずけられ、そこで半年学んだ後、1650年にローマに到達した。ローマ、ボローニャ、およびポルトガルのコインブラ大学で学び、1664年に司祭に叙階された。
1666年にリスボンを出発した。船には別の Nicolau da Fonseca というマカオ生まれの中国人(中国名不明)が同乗していた[4]。1668年にマカオに戻ったが、当時の中国はキリスト教弾圧(康熙暦獄)が行われている最中だった。翌年ひそかに広州にはいった。弾圧が終了した後、1671年に北京に移ったが、1673年に病死した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Pfister, Louis (1932). Notices biographiques et bibliographiques sur les jésuites de l'ancienne mission de Chine, 1552-1773. 1. Shanghai: Impr. de la Mission catholique. p. 381 (BnF Gallica)
- Pina, Isabel (2013). “Some data on Tomás Pereira's (Xu Risheng 徐日昇) biography and manuscripts”. In Luís Saraiva. Europe and China: Science and Arts in the 17th and 18th Centuries. World Scientific. pp. 95-114. ISBN 9789814390439
- Rouleau, Francis A (1959). “The first Chinese priest of the Society of Jesus, Emmanuel de Siqueira. 1633-1673, Cheng Ma-no Wei-hsin”. Archivum Historicum Societatis Iesu 28: 3-50.
- 罗莹「第一位中国籍耶稣会神父澳门人郑维信生平考略」『世界宗教研究』第1号、2015年、153-161頁。