コンテンツにスキップ

那羅延天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
那羅延天
那羅延天(『諸尊図像鈔』より)
那羅延天
梵名 ナーラーヤナ
別名 毘紐天
テンプレートを表示

那羅延天(ならえんてん, नारायण、Nārāyaṇa)はバラモン教ヒンドゥー教ヴィシュヌが、仏教に取り入れられ護法善神とされたもの[1]。「那羅延」とはヴィシュヌの異名「ナーラーヤナ」の音写。ヴィシュヌの音写として毘瑟笯[2](びしぬ)、毘紐[2](びちゅう、びにゅう)、毘紐天[3](びちゅうてん、びにゅうてん)とも記述される。

解説

[編集]

大力があるとされ、「勝力」と訳される。仏・菩薩の堅固を譬えて那羅延身、那羅延力という。

無量寿経』では、法蔵菩薩(のちの阿弥陀如来)が誓願(四十八願の第二十六願)の中で、自分が建設する極楽浄土における求道者が「ナーラーヤナ神が金剛で打つような体」を持つようにすると語っている[4]

また『大智度論』では、ヴィシュヌ神を漢訳して遍悶といい、四臂にして貝を捉り輪を持し金翅鳥に騎すと説いている[5]

敦煌の仏教壁画などでは、ヒンドゥー教におけるヴィシュヌのように迦楼羅ガルダ)に乗った姿で描かれる[6]

スリランカではヴィシュヌは仏教の守護神(護法善神)と信じられ、神々をまつる「デワレ」にもヴィシュヌを祀ったものがある。十のアヴァターラを描いたデワレも存在する[7]。デワレだけでなく、寺院本堂の中にヴィシュヌ像がおかれる例もまれにある。スリランカではヴィシュヌ像の肌は青く塗られている。ペラヘラ祭りで行われる行列の一つ「ランドーリ・ペラヘラ」にはヴィシュヌ神像を乗せたも加わる[8]

北史』隋本紀は、の建国者・幼名が「那羅延」であったことを記している[9]。「那羅延」とは、那羅延天のことで、仏教を守護する大力の神であり、中国では金剛力士と混合され、堅固にして勇猛の身をもつものとされ、堅の名はこれによって選ばれた漢字名であったとみられる[9]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 「那羅延天」 - 精選版 日本国語大辞典小学館。
  2. ^ a b 「毘瑟笯・毘紐」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
  3. ^ 「毘紐天」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2014 Britannica Japan。
  4. ^ 『浄土三部経 上』 41頁
  5. ^ 「如韋紐天。秦言遍悶。四臂。捉貝持輪。騎金翅鳥。」(T1509_.25.0073a07)
  6. ^ 那羅延天像”. 考古用語辞典. 2011年9月30日閲覧。
  7. ^ (青木保 1985, p. 46,51)
  8. ^ (青木保 1985, p. 149)
  9. ^ a b 稲畑耕一郎『隋 楊堅 繁栄の基礎を築いた「開皇の治」--分裂時代に終止符を打ち、その施政は唐へ受け継がれた』新人物往来社歴史読本〉、2009年10月、90頁。 

参考文献

[編集]
  • 『浄土三部経 上』 中村元訳註、岩波書店岩波文庫ISBN 978-4003330616[要文献特定詳細情報]
  • 青木保編著『聖地スリランカ - 生きた仏教の儀礼と実践』日本放送出版協会、1985年8月。ISBN 978-4-14-008446-5 

関連項目

[編集]