那羅延天
那羅延天 | |
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那羅延天(『諸尊図像鈔』より) | |
名 | 那羅延天 |
梵名 | ナーラーヤナ |
別名 | 毘紐天 |
那羅延天(ならえんてん, नारायण、Nārāyaṇa)はバラモン教・ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが、仏教に取り入れられ護法善神とされたもの[1]。「那羅延」とはヴィシュヌの異名「ナーラーヤナ」の音写。ヴィシュヌの音写として毘瑟笯[2](びしぬ)、毘紐[2](びちゅう、びにゅう)、毘紐天[3](びちゅうてん、びにゅうてん)とも記述される。
解説
[編集]大力があるとされ、「勝力」と訳される。仏・菩薩の堅固を譬えて那羅延身、那羅延力という。
『無量寿経』では、法蔵菩薩(のちの阿弥陀如来)が誓願(四十八願の第二十六願)の中で、自分が建設する極楽浄土における求道者が「ナーラーヤナ神が金剛で打つような体」を持つようにすると語っている[4]。
また『大智度論』では、ヴィシュヌ神を漢訳して遍悶といい、四臂にして貝を捉り輪を持し金翅鳥に騎すと説いている[5]。
敦煌の仏教壁画などでは、ヒンドゥー教におけるヴィシュヌのように迦楼羅(ガルダ)に乗った姿で描かれる[6]。
スリランカではヴィシュヌは仏教の守護神(護法善神)と信じられ、神々をまつる「デワレ」にもヴィシュヌを祀ったものがある。十のアヴァターラを描いたデワレも存在する[7]。デワレだけでなく、寺院本堂の中にヴィシュヌ像がおかれる例もまれにある。スリランカではヴィシュヌ像の肌は青く塗られている。ペラヘラ祭りで行われる行列の一つ「ランドーリ・ペラヘラ」にはヴィシュヌ神像を乗せた象も加わる[8]。
『北史』隋本紀は、隋の建国者・堅の幼名が「那羅延」であったことを記している[9]。「那羅延」とは、那羅延天のことで、仏教を守護する大力の神であり、中国では金剛力士と混合され、堅固にして勇猛の身をもつものとされ、堅の名はこれによって選ばれた漢字名であったとみられる[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「那羅延天」 - 精選版 日本国語大辞典小学館。
- ^ a b 「毘瑟笯・毘紐」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 「毘紐天」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2014 Britannica Japan。
- ^ 『浄土三部経 上』 41頁
- ^ 「如韋紐天。秦言遍悶。四臂。捉貝持輪。騎金翅鳥。」(T1509_.25.0073a07)
- ^ “那羅延天像”. 考古用語辞典. 2011年9月30日閲覧。
- ^ (青木保 1985, p. 46,51)
- ^ (青木保 1985, p. 149)
- ^ a b 稲畑耕一郎『隋 楊堅 繁栄の基礎を築いた「開皇の治」--分裂時代に終止符を打ち、その施政は唐へ受け継がれた』新人物往来社〈歴史読本〉、2009年10月、90頁。
参考文献
[編集]- 『浄土三部経 上』 中村元訳註、岩波書店〈岩波文庫〉ISBN 978-4003330616。 [要文献特定詳細情報]
- 青木保編著『聖地スリランカ - 生きた仏教の儀礼と実践』日本放送出版協会、1985年8月。ISBN 978-4-14-008446-5。
関連項目
[編集]- ヒンドゥー教における釈迦 - ヴィシュヌの化身と位置づけられた釈迦。
- 金剛力士 - 阿形をとる片割れの名前が「那羅延金剛(那羅延堅固王)」。