那岐村
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なぎそん 那岐村 | |
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廃止日 | 1935年2月20日 |
廃止理由 |
新設合併 智頭町、山形村、那岐村、土師村 → 智頭町 |
現在の自治体 | 智頭町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
八頭郡山郷村、土師村、富沢村 岡山県勝田郡梶並村、広戸村、豊田村、豊並村、苫田郡上加茂村、東加茂村 |
那岐村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡那岐村大背 |
座標 | 北緯35度12分47秒 東経134度12分37秒 / 北緯35.21297度 東経134.21014度座標: 北緯35度12分47秒 東経134度12分37秒 / 北緯35.21297度 東経134.21014度 |
ウィキプロジェクト |
那岐村[1][2](なぎそん[3])は、1889年(明治22年) - 1935年(昭和10年)、鳥取県智頭郡・八頭郡にあった村。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 大屋村、早瀬村、真鹿野村、野原宿、奥本村、大背村、東宇塚村、西宇塚村、河津原村が合併して那岐村が成立。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、「八上八東智頭郡役所」の管轄地域をもって八頭郡が発足。同日智頭郡廃止。
- 1935年(昭和10年)2月20日 - 八頭郡智頭町、山形村、土師村と新設合併し、改めて智頭町が発足。同日付で那岐村が廃止。
行政
[編集]村長
[編集]経済
[編集]産業
[編集]産業は農産10万9900余円、林産7万8000余円、畜産5100余円、水産200余円、工産1万1300余円、生産総額20万4700余円で、1戸当り600余円、1人当り100円に上る[2]。1931年に刊行された『自治産業発達史』によると、戸数335戸あり、内228戸は農業で、商業25戸、工業52戸、漁業1戸がある[2]。
- 農業
産物は大豆、小豆、桑葉、繭、大麻、石材、丸角材、木炭など[3]。養蚕が盛んである[3]。『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』によると、那岐村の篤農家は長石、熊谷などがいた[4]。
- 企業
- 工場
- 酒造工場[1]
人口
[編集]1921年の戸数336、人口2133[3]。1929年に刊行された『市町村治績録』によると、戸数335、人口2026[1]。
地域
[編集]教育
[編集]神社仏閣
[編集]- 那岐神社
- 大屋神社
- 高貴山 極楽寺(高野山真言宗)
公共団体
[編集]出身人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『市町村治績録』鳥取県11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『自治産業発達史』362 - 363頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月3日閲覧。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』566頁。
- ^ 『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』鳥取県170頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月26日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第12版 上』ア1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月27日閲覧。
- ^ 『国勢人物選集 1』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 日本自治協会編『市町村治績録』日本自治協会、1929年。
- 東京日々通信社編『自治産業発達史』東京日日通信社、1931年。
- 人事通信社編『国勢人物選集 1』人事通信社、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』。
- 旧高旧領取調帳データベース