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邢晏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

邢 晏(けい あん、478年 - 528年)は、北魏学者官僚は幼平。本貫河間郡鄚県邢巒の弟にあたる。

経歴

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邢脩年と李氏のあいだの子として生まれた。態度や振る舞いが美しく、文雅を好んだ。経書史書を広く渉猟して、仏教老荘を語るのを得意とした。太学博士司徒東閤祭酒を初任とした。宣武帝の初年、広平王元懐とともに遊宴したことから、鄚県令に左遷されたが、赴任しなかった。給事中に任じられ、司空主簿・瀛州中正・汝南王文学に転じた。ほどなく輔国将軍・司空長史・吏部郎中に転じた。輔国将軍のまま南兗州刺史として出向した。洛陽に召還されて、太中大夫となり、高陽王元雍の下で丞相右長史を兼ねた。まもなく輔国将軍のまま滄州刺史に任じられた。528年武泰元年)2月13日済陰郡離狐県で死去した。享年は51。征北将軍・尚書左僕射・瀛州刺史の位を追贈された。は文貞といった。

妻子

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  • 趙郡李氏(先妻、魯郡太守の李安期の娘)
  • 清河崔氏(後妻、清河郡太守の崔宗伯の娘)
  • 劉氏(妾、邢子長の母)
  • 王氏(妾、邢子広の母)

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  • 邢覧(507年 - 524年、州主薄)
  • 邢象(509年 - 527年、邢季彦の後を嗣いだ。郡功曹、州主薄)
  • 邢測(513年 - ?、字は子深。太尉府行参軍。太師府主簿。平北将軍・太中大夫。武定末年に太子洗馬)
  • 邢亢(516年 - 549年、字は子高。司空行参軍を初任とし、広平王開府従事中郎に転じた。543年、通直散騎常侍を兼ね、南朝梁に対する使者として立った。帰国すると、平東将軍の号を受け、高澄の下で大将軍府属となった。さらに中外府属に転じた。549年に事件に連座して晋陽で処刑された)
  • 邢子長(524年 - ?、太司馬府集曹行参軍)
  • 邢子広(526年 - ?)

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  • 邢援英(510年 - 528年
  • 邢援娥(趙郡の李子仁(李璨の子の李仲胤の子)にとついだ)
  • 邢同娥(孝武帝の後宮に入って淑儀となった。後に隴西の李世君(李韶の子の李璵の子)に再嫁した)
  • 邢援止(河南の元子冏(元孚の子)にとついだ)
  • 邢容娥(525年 - 540年

伝記資料

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  • 魏書』巻65 列伝第53
  • 北史』巻43 列伝第31
  • 邢府君墓誌(邢晏墓誌)