遠藤良吉
遠藤良吉 えんどう りょうきち | |
---|---|
| |
生年月日 | 1855年1月29日 |
出生地 |
日本 陸奥国桃生郡赤井村 (現宮城県東松島市赤井) |
没年月日 | 1931年12月12日(76歳没) |
前職 | 伊豆七島巡視 |
所属政党 | 立憲政友会 |
配偶者 | 遠藤直子 |
親族 | 養父・遠藤温(衆議院議員) |
選挙区 |
(宮城県郡部選挙区→) 宮城県第7選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1904年3月 - 1908年3月27日 1909年3月2日 - 1914年12月25日 1917年4月 - 1924年1月31日 |
在任期間 |
1898年7月 - 1901年10月 1903年9月 - 1904年3月 |
桃生郡会議員 | |
広淵村会議員 | |
深谷村会議員 | |
その他の職歴 | |
石巻村会副議長 ( - ) | |
石巻村会議員 ( - ) | |
広淵村長 (1896年5月13日 - 1899年5月) |
遠藤 良吉(えんどう りょうきち、1855年1月29日(安政元年12月12日[1][2])- 1931年(昭和6年)12月12日[1][3][4][5][注釈 1])は、明治から大正期の日本の警察官、政治家。衆議院議員(5期)、宮城県桃生郡広淵村長。旧姓は村上、号は李楊[6][7]。
経歴
[編集]陸奥国桃生郡赤井村[1][8](宮城県[3]桃生郡深谷村、赤井村[4][5][7]、矢本町[8]を経て現東松島市赤井)で、仙台藩陪臣・村上東八郎の二男として生まれた[1][2][7][8]。警部補、陸軍少尉試補兼小警部、伊豆七島巡視を歴任[2][3][4][5]。
桃生郡北村湖崎[6](現石巻市北村)の遠藤温の門下に入り、その婿養子となる[1][2][6][7][8]。1893年(明治26年)遠田郡と桃生郡・牡鹿郡の農民間で水利紛争(遠桃事件)が起こり、遠藤は桃生・牡鹿側の首謀者として入獄した[1][7][8]。その後、初代広淵村長に推されて就任し[1][7][8]、その他、石巻村会議員、同副議長、深谷村会議員、広淵村会議員、桃生郡会議員、同参事会員を務めた[1][2][3][4]。1898年(明治31年)7月に宮城県会議員に選出され[1][7][8]、その後、1901年(明治34年)10月で在任し[1]、さらに1903年(明治36年)9月から1904年(明治37年)3月まで県会議員を務めた[1]。この間、参事会員にも在任し[3]、北上川の治水工事の実現に尽力した[1][7][8]。
1904年3月の第9回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、立憲政友会)で初当選し、その後、第14回総選挙まで4回再選され、衆議院議員に通算5期在任した[1][3][4][8]。この間、政友会協議員などを務め[5]、闘将と称された[1][6][8]。
阿片事件で検挙され1922年(大正11年)8月8日、一審では無罪判決が出るも(求刑は懲役1年6月)[9]、1923年(大正12年)8月30日、二審の旅順高等法院では懲役6月執行猶予3年の有罪判決[10][11]。これにより勲二等を褫奪された[12]。
晩年は政界を引退して東京市外に隠棲し[8]、同地で死去した[6]。
国政選挙歴
[編集]- 第9回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、1904年3月、立憲政友会)当選[13]
- 第10回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、1908年5月、立憲政友会)次点落選[14]。
- 第11回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、1912年5月、立憲政友会)当選[14]
- 第12回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、1915年3月、立憲政友会)落選[14]
- 第13回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、1917年4月、立憲政友会)当選[16]
- 第14回衆議院議員総選挙(宮城県第7区、1920年5月、立憲政友会公認)当選[17]
- 第16回衆議院議員総選挙(宮城県第2区、1928年2月、立憲政友会公認)次点落選[18]
親族
[編集]- 妻 遠藤直子(養父二女)[6]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『仙台人名大辞書』150頁では12月6日。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『宮城県議会史 第2巻』付録212-213頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』え12頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』104頁。
- ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』79頁。
- ^ a b c d 『立憲政友会功労者追遠録』355頁。
- ^ a b c d e f 『仙台人名大辞書』150頁。
- ^ a b c d e f g h 『宮城県姓氏家系大辞典』314頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『宮城県百科事典』100頁。
- ^ 「阿片事件判決 : 中野は懲役一年四月 : 古賀は懲役六月」『大阪朝日新聞』1922年8月9日。2024年2月26日閲覧。
- ^ 「古賀中野は懲役一年半 : 五名共三年間の執行猶予 : 阿片事件大団円を告ぐ」『大阪毎日新聞』1923年8月31日。2024年2月26日閲覧。
- ^ 財界三十年譜 中巻 四二七頁
- ^ 官報 1924年9月25日 三一七頁
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』20頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』60頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』242頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』90頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』16頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』268頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
- 菊田定郷『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会、1933年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 宮城県議会史編さん委員会編『宮城県議会史 第2巻』宮城県議会、1974年。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 竹内理三ほか編『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。