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遠藤良吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠藤良吉
えんどう りょうきち
生年月日 1855年1月29日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国桃生郡赤井村
(現宮城県東松島市赤井)
没年月日 (1931-12-12) 1931年12月12日(76歳没)
前職 伊豆七島巡視
所属政党 立憲政友会
配偶者 遠藤直子
親族 養父・遠藤温(衆議院議員)

選挙区 (宮城県郡部選挙区→)
宮城県第7選挙区
当選回数 5回
在任期間 1904年3月 - 1908年3月27日
1909年3月2日 - 1914年12月25日
1917年4月 - 1924年1月31日

在任期間 1898年7月 - 1901年10月
1903年9月 - 1904年3月

桃生郡会議員

広淵村会議員

深谷村会議員

その他の職歴
石巻村会副議長
( - )
石巻村会議員
( - )
広淵村長
1896年5月13日 - 1899年5月
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遠藤 良吉(えんどう りょうきち、1855年1月29日安政元年12月12日[1][2])- 1931年昭和6年)12月12日[1][3][4][5][注釈 1])は、明治から大正期の日本の警察官政治家衆議院議員(5期)、宮城県桃生郡広淵村長。旧姓は村上、号は李楊[6][7]

経歴

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陸奥国桃生郡赤井村[1][8]宮城県[3]桃生郡深谷村赤井村[4][5][7]矢本町[8]を経て現東松島市赤井)で、仙台藩陪臣・村上東八郎の二男として生まれた[1][2][7][8]。警部補、陸軍少尉試補兼小警部、伊豆七島巡視を歴任[2][3][4][5]

桃生郡北村湖崎[6](現石巻市北村)の遠藤温の門下に入り、その婿養子となる[1][2][6][7][8]。1893年(明治26年)遠田郡と桃生郡・牡鹿郡の農民間で水利紛争(遠桃事件)が起こり、遠藤は桃生・牡鹿側の首謀者として入獄した[1][7][8]。その後、初代広淵村長に推されて就任し[1][7][8]、その他、石巻村会議員、同副議長、深谷村会議員、広淵村会議員、桃生郡会議員、同参事会員を務めた[1][2][3][4]。1898年(明治31年)7月に宮城県会議員に選出され[1][7][8]、その後、1901年(明治34年)10月で在任し[1]、さらに1903年(明治36年)9月から1904年(明治37年)3月まで県会議員を務めた[1]。この間、参事会員にも在任し[3]北上川の治水工事の実現に尽力した[1][7][8]

1904年3月の第9回衆議院議員総選挙(宮城県郡部、立憲政友会)で初当選し、その後、第14回総選挙まで4回再選され、衆議院議員に通算5期在任した[1][3][4][8]。この間、政友会協議員などを務め[5]、闘将と称された[1][6][8]

阿片事件で検挙され1922年(大正11年)8月8日、一審では無罪判決が出るも(求刑は懲役1年6月)[9]、1923年(大正12年)8月30日、二審の旅順高等法院では懲役6月執行猶予3年の有罪判決[10][11]。これにより勲二等を褫奪された[12]

晩年は政界を引退して東京市外に隠棲し[8]、同地で死去した[6]

国政選挙歴

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親族

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  • 妻 遠藤直子(養父二女)[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『仙台人名大辞書』150頁では12月6日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『宮城県議会史 第2巻』付録212-213頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』え12頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』104頁。
  4. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』79頁。
  5. ^ a b c d 『立憲政友会功労者追遠録』355頁。
  6. ^ a b c d e f 『仙台人名大辞書』150頁。
  7. ^ a b c d e f g h 『宮城県姓氏家系大辞典』314頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j k 『宮城県百科事典』100頁。
  9. ^ 阿片事件判決 : 中野は懲役一年四月 : 古賀は懲役六月」『大阪朝日新聞』1922年8月9日。2024年2月26日閲覧。
  10. ^ 古賀中野は懲役一年半 : 五名共三年間の執行猶予 : 阿片事件大団円を告ぐ」『大阪毎日新聞』1923年8月31日。2024年2月26日閲覧。
  11. ^ 財界三十年譜 中巻 四二七頁
  12. ^ 官報 1924年9月25日 三一七頁
  13. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』20頁。
  14. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』60頁。
  15. ^ 『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』242頁。
  16. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』90頁。
  17. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』16頁。
  18. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』268頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
  • 菊田定郷『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会、1933年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 宮城県議会史編さん委員会編『宮城県議会史 第2巻』宮城県議会、1974年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 衆議院参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 竹内理三ほか編『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。