遠藤胤忠
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 享保17年12月29日(1733年2月13日) |
死没 | 寛政3年10月12日(1791年11月7日) |
改名 | 竹之助・兵庫(幼名)、胤忠 |
戒名 | 東勤院素秋 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の長敬寺 |
官位 | 従五位下、下野守 |
幕府 | 江戸幕府 大番頭、日光祭祀奉行 |
藩 | 近江国三上藩主 |
氏族 | 遠藤氏 |
父母 |
父:遠藤胤親、母:田所氏 養父:遠藤胤将 |
兄弟 | 胤将、胤充、胤忠 |
妻 | 側室:小林氏、西村氏、内藤氏、青木氏 |
子 |
吉次郎、胤寿 娘(松平乗森室、のち前田清長室) 光顔院(遠藤胤相と婚約)、慈敬院 娘(遠藤常益室) 養子:胤相、胤富 |
遠藤 胤忠(えんどう たねただ)は、近江三上藩の第3代藩主。三上藩遠藤家8代。
生涯
[編集]享保17年(1732年)12月29日、初代藩主・遠藤胤親の三男として江戸神田橋邸で生まれる。宝暦10年(1760年)6月26日、兄で第2代藩主である胤将の養子となり、同年に将軍徳川家治に拝謁する[1]。
明和8年(1771年)に胤将の死去により家督を継ぐ。同年12月18日に従五位下・下野守に叙位・任官する。
安永2年(1773年)9月18日、日光祭祀奉行に任じられ、安永8年(1779年)2月4日に大坂加番に任じられ、4月15日に大番頭に任じられ、寛政元年(1789年)閏6月18日まで務めている。
東常縁の子孫であることを誇りとし、自らは歌道を烏丸光栄に学び、古今伝授を授けられた。
寛政2年(1790年)2月20日、家督を養子の胤富に譲って隠居する。寛政3年(1791年)10月12日に死去した。享年60。
系譜
[編集]父母
側室
- 小林氏
- 西村氏
- 内藤氏
- 青木氏
子女
養子