遠坂文雍
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遠坂 文雍(とおさか ぶんよう、天明3年(1783年) - 嘉永5年7月20日(1852年9月3日))は江戸時代後期の南画家。
名は文應、字は文雍・穆夫。号は雪堂・十友園など。通称を庄司。江戸の生まれ。
略伝
[編集]行年70歳。駒込吉祥寺境内稀蔵庵に埋葬される。
次男・仲雍(字:蠖夫、号:逸斎、通称:丹二郎、天保の頃活躍)、孫の文岱(名:則男もしくは正雄、別号:五清堂・十友園、通称:松次郎、明治6年7月2日死没)と三代続けて画家になる。
門弟
[編集]- 吉沢雪庵(名:文行、号:小造化廬、明治22年(1889年)没、高橋由一が一時師事、山水図・花鳥図を得意とする)
- 榊原長敏(名:清記、号:文翠、文政6年(1823年)生 - 明治42年(1909年)没、京都生・幕臣、大和絵を得意とする)
作品
[編集]- 「蝴蝶牡丹の図」絹本著色 天保9年以前 福井市立郷土歴史博物館(春嶽公記念文庫)[2]
- 「滕王閣図」天保10年(1839年)徳川美術館
- 「水禽図」板橋区立美術館
- 「文王猟渭陽図」江戸民間書画美術館 渥美コレクション
- 「孔子・鶴亀山水図」嘉永3年(1850年)静嘉堂文庫美術館
- 「富士越之龍図」
- 「谷文晁肖像図」弘化4年(1847年)
挿画
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐々木英理子編「画家略伝」 所載「谷文晁とその一門」板橋区立美術館 2007年
- 渥美国泰『写山楼谷文晁のすべて 今、晩期乱筆の文晁が面白い』里文出版、2001年、ISBN 4898061729