速鳥 (駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1900年度[1] |
起工 | 1902年4月15日[1] |
進水 | 1903年3月12日[1] |
就役 | 1903年8月24日[1] |
その後 | 1904年9月3日触雷沈没[1] |
除籍 | 1905年6月15日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:375トン[2] |
全長 | 69.2m[2] |
全幅 | 6.6m[2] |
吃水 | 1.8 m[2] |
機関 | 艦本式水管缶(石炭専焼)4基[2] 直立式4気筒三連成レシプロ蒸気機械2基2軸[2] 6,000馬力[2] |
最大速力 | 29ノット[2] |
航続距離 | 10ノットで1,200海里[2] |
燃料 | 石炭:100トン[2] |
乗員 | 62人[3] |
兵装 | 7.6cm単装砲2基[2] 57mm単装砲4基[2] 45cm魚雷発射管単装2基[2] |
速鳥(はやとり)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、春雨型駆逐艦の3番艦である。
艦歴
[編集]1903年8月24日、横須賀造船廠で竣工し、軍艦に編入され駆逐艦に類別[1]。
1904年9月3日、旅順港口封鎖に向かう途中、小平島南方2浬で触雷沈没した[4]。20名が死亡ないし行方不明となり、54名が救助された[4]。ロシア側は駆逐艦「スコールヌイ」が敷設した機雷に触れたのだろうとしている[4]。
1905年6月1日、喪失を公表[5]。同年6月15日、除籍された。
艦長
[編集]- 艦長
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』、海人社、2012年12月。
- 真鍋重忠『日露旅順海戦史』吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9