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車洛勲

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車 洛勲(チャ・ナクン、朝鮮語: 차낙훈/車洛勳1912年[1] - 1993年8月16日)は、大韓民国教授法学者商法学)。

本貫延安車氏朝鮮語版。第7代高麗大学校総長[2]、第9代淑明女子大学校総長[3]チャ・ラクン(漢字同、차락훈)という表記も見られる[2]

経歴

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1940年に京城帝国大学法学部卒、1943年に同大法科大学院修了[1]。1944〜47年に朝鮮金融組合連合会勤務、以後金融連合調査課長などを務め、1948年に高麗大学校政法大学副教授、1952〜53年に釜山大学校副教授、1955〜57年にソウル大学校法科大学待遇教授。1956年より高麗大学校法大教授[4]、学生処長、事務処長、同校法科大学長、同校第7代総長(1975[5]~77年)を歴任したほか[1]、淑明学院理事、第9代淑明女子大学校総長(1977~81年)[1]、韓国研究院理事を務めた。1993年に持病により81歳で死去した[4]

脚注

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  1. ^ a b c d 차낙훈(車洛勳)” (朝鮮語). encykorea.aks.ac.kr. 2023年9月9日閲覧。
  2. ^ a b 고대소개|총장실|역대총장|고려대학교” (朝鮮語). www.korea.ac.kr. 2023年9月9日閲覧。
  3. ^ 역대총장소개” (朝鮮語). 숙명여자대학교(국문). 2023年9月9日閲覧。
  4. ^ a b 前高大(전고대)·淑大(숙대)총장車洛勳(차낙훈)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1993年8月17日). 2023年9月9日閲覧。
  5. ^ 高大總長(고대총장)서리에 車洛勲(차낙훈)교수選任(선임)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1975年4月19日). 2023年9月9日閲覧。