路大人
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時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 養老3年7月18日(719年8月8日) |
官位 | 正四位下・大宰大弐 |
主君 | 天武天皇 → 持統天皇 → 文武天皇 → 元明天皇 → 元正天皇 |
氏族 | 路公 → 路真人 |
路 大人(みち の うし、? - 養老3年7月18日(719年8月8日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。氏姓は路公のち路真人。官位は正四位下・大宰大弐。
経歴
[編集]天武天皇13年(684年)八色の姓の制定により、路公姓から路真人姓に改姓する。
文武天皇3年(699年)弓削皇子が薨じた際、大石王と共に葬儀を監護する(この時の冠位は直広参)。大宝元年(701年)大宝令における位階制度の制定を通じて正五位下に叙せられ、同年7月の左大臣・多治比嶋の葬儀に際して、公卿の誄を宣べる。また、大宝2年(702年)に持統上皇が崩御した際には作殯宮司を務めている。大宝3年(703年)衛士督に任ぜられる。
和銅4年(711年)従四位下、和銅8年(715年)従四位上・大宰大弐に叙任されるなど、元明朝で順調に昇進した。
養老3年(719年)正月に正四位下に至るが、同年7月18日卒去。最終官位は大宰大弐正四位下。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 天武天皇13年(684年) 10月1日:路公姓から路真人姓に改姓
- 文武天皇3年(699年) 7月21日:見直広参
- 大宝元年(701年) 7月21日:見正五位下
- 大宝2年(702年) 12月23日:作殯宮司(持統上皇崩御)
- 大宝3年(703年) 12月13日:衛士督
- 和銅4年(711年) 4月7日:従四位下
- 和銅8年(715年) 正月10日:従四位上。8月10日:大宰大弐
- 養老3年(719年) 正月13日:正四位下。7月18日:卒去(大宰大弐正四位下)