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足助重氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
足助重氏
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 正慶2年/元弘3年5月22日1333年7月4日
別名 余二[1]、次郎[2]
氏族 足助氏
父母 父:足助重貞[3]
兄弟 重氏時成有方
重顕重嗣
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足助 重氏(あすけ しげうじ)は、鎌倉時代後期の武将

経歴・人物

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三河国加茂郡足助荘の領主[1]弘安8年(1285年)の霜月騒動で所領を没収されて以降、足助氏は幕府への不満を募らせていく。重氏も一族の討幕運動に加わり、新田義貞鎌倉攻めに従うが討死した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.38(1985)
  2. ^ 上田正昭・ほか編『日本人名大辞典』講談社、p.51(2001)
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 37頁。