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趙懿安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
趙懿安
続柄 仁宗第七皇女

全名 趙懿安
称号 (追贈:荘夷大長帝姫)
道号:崇因保祐大師
出生 慶暦3年(1043年
死去 慶暦4年5月14日
1044年6月12日
父親 仁宗
母親 御侍馮氏
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趙 懿安(ちょう いあん)は、北宋仁宗の七女。

経歴

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御侍馮氏(後に始平郡君・賢妃となった)の次女として生まれた。

慶暦3年(1043年)に生まれた。慶暦4年(1044年)5月13日に出家し、崇因保祐大師の道号を贈られたが、翌日に夭折した。隋国公主の位を追贈された。

嘉祐4年(1059年)12月に呉国公主の位を再追贈された。治平元年(1064年)6月、再従兄の英宗から燕国長公主の位を再追贈された。元符3年(1100年)3月、徽宗から魯国大長公主の位を再追贈された。政和4年(1114年)12月、荘夷大長帝姫の位を再追贈された。

伝記資料

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  • 『續資治通鑑長編』
  • 『宋会要輯稿』