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趙 小金(ちょう しょうきん、1126年 - 1129年)は、北宋の徽宗の第34皇女(夭逝を除いて第23皇女)。
靖康元年(1126年)春に生まれ、恭福帝姫の位を授けられた。靖康の変以前に徽宗がもうけた最年少の女子である。その当時、徽宗はすでに退位して太上皇となっており、帝位は長男の欽宗に譲っていた。
靖康の変の際、金軍では「恭福帝姫は乱兵に殺害された」と報告されたが、実際には秘かにかくまわれ逃がれていた。その後、建炎3年(1129年)に南宋で死去した。兄の高宗により隋国長公主の位を追贈された。
- 『靖康稗史箋證』
- 『宋会要輯稿』
- 『建炎以来朝野雑記』