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赤田栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
赤田 栄
時代 室町時代初期
生誕 乾元元年(1302年
死没 観応2年9月27日1351年10月17日
別名 二郎、左衛門尉
墓所 滋賀県犬上郡甲良町勝楽寺
官位 従六位下
主君 佐々木氏六角氏)、京極氏
氏族 嵯峨源氏渡辺氏赤田氏
父母 父:赤田備
兄弟 赤田向
不明
なし
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赤田 栄 (あかだ さこう)は、室町時代武士赤田備の子。

解説

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宇多源氏京極氏の忠臣であり、観応の擾乱の中で起こった近江蒲生野合戦にて佐々木道誉の身代わりとなり討死した。49歳であった。 墓所は滋賀県犬上郡甲良町にある勝楽寺で、導誉の墓と伝えられる宝篋印塔のそばに寄り添うようにまつられている[1]。また、討ち死にした際に同族とみられる「重」という人物がいたとされるが、詳細は不明である。

脚注

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  1. ^ 滋賀県 犬上郡甲良町勝楽寺 勝楽寺の石像美術(その1)

出典

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参考文献

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  • 『多賀町史 上巻』、多賀町史編さん委員会、1992年。
  • 藤川助三『豊郷村史』、滋賀県豊郷村史編集委員会、1963年。