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貴志川八幡宮

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貴志川八幡宮
所在地 和歌山県紀の川市貴志川町岸宮1124-1
位置 北緯34度13分30.7秒 東経135度17分50.5秒 / 北緯34.225194度 東経135.297361度 / 34.225194; 135.297361 (貴志川八幡宮)座標: 北緯34度13分30.7秒 東経135度17分50.5秒 / 北緯34.225194度 東経135.297361度 / 34.225194; 135.297361 (貴志川八幡宮)
主祭神 品陀和気命息長足比賣命玉依姫命
創建 康平6年(1063年
例祭 4月3日、10月3日
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貴志川八幡宮(きしがわはちまんぐう)は、和歌山県紀の川市貴志川町岸宮にある神社

歴史

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当地は神功皇后三韓征伐後、紀伊国名草郡柏原郷に上陸後に立ち寄った場所だとされる。

八幡神を尊崇する大和国宇智郡坂合荘(現・奈良県五條市阪合部新田町)の住人阪上法兼が一筋の光を発見した。調べてみるとその光はこの地から発せられていた。そこで、その光を八幡神の影向と考えた法兼によって康平6年(1063年)、鳩羽山の山頂のタテリ岩がある地に八幡宮を創建し、自ら社司となったという。その際、国司の五条大納言より種々の珍宝の寄進を受け、四方50町に及ぶ神領が定められたとする。

寛治元年(1087年)、中腹にある岸宮中宮遺跡の地に遷座する。寛元元年(1243年)、現在地に遷座する。

室町時代には蓮華ノ宮八幡と呼ばれていた。

天正年間(1573年 - 1593年)に兵火にかかり社殿が焼失し、神領が没収されるが、慶長6年(1601年)に山名師氏によって再興された。

1906年明治39年)、社殿が再建される。

当社の東にはかつての別当寺・大日寺がある。

祭神

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境内

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  • 本殿 - 1906年明治39年)再建。
  • 幣殿 - 1906年(明治39年)再建。
  • 拝殿 - 1906年(明治39年)再建。
  • 御輿庫
  • 庭園 - 安土桃山時代に作られた蛇紋岩の石庭。
  • 塞ノ神社
  • 相殿社(天満神社田村神社
  • 相殿社(春日神社妙見神社
  • 伊勢神宮遥拝社
  • 社務所
  • 奥宮 - 一の宮。山頂にあり、タテリ岩と呼ばれる蛇紋岩の磐座がある。
  • 中宮 - 上の宮。岸宮中宮遺跡(紀の川市指定史跡)と呼ばれる環状配石遺構が残っている。
  • 境外社
    • 伏神神社

文化財

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紀の川市指定史跡

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  • 岸宮中宮遺跡 - 古代祭祀の遺跡であるが、山頂の奥宮と山腹の中宮・岸宮中宮遺跡、そして山麓の里宮・貴志川八幡宮と並んでいる珍しいつくりである。

祭事

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  • 例祭 - 4月3日、10月3日

交通アクセス

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参考文献

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  • 貴志川八幡宮由緒

外部リンク

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