豊田豊吉
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豊田 豊吉(とよた とよきち、1890年(明治23年)2月13日[1] - 1943年11月11日)は、日本の政治家。衆議院議員4期、大蔵参与官、東京市助役を歴任した。
来歴
[編集]1890年、茨城県に生まれる。1909年に旧制海城中学校を、1917年に早稲田大学商学部を卒業する。大学卒業後は、貿易会社を経営したり、著述業に従事する。その後、1932年の第18回衆議院議員総選挙に茨城県第1区から出馬し、初当選。以後、4期連続当選を果たす。阿部内閣で大蔵参与官、東京市助役を務めたが、1943年に死去した。
年譜
[編集]- 1890年(明治23年) 茨城県に生まれる。
- 1909年(明治42年) 旧制海城中学校を卒業。
- 1917年(大正6年) 早稲田大学商学部を卒業。
- 1932年(昭和7年) 第18回衆議院議員総選挙に茨城県第1区から出馬し、初当選。
- 1936年(昭和11年) 第19回衆議院議員総選挙に茨城県第1区から出馬し、2期目当選。
- 1937年(昭和12年) 第20回衆議院議員総選挙に茨城県第1区から出馬し、3期目当選。阿部内閣で大蔵参与官に就任。
- 1942年(昭和17年) 第21回衆議院議員総選挙に茨城県第1区から出馬し、4期目当選。東京市助役(1940~1942年)を務める。
- 1943年(昭和18年) 議員在職中に病気のため死去。
著書・論文
[編集]著書
[編集]- 『対支懸案の真相』
論文
[編集]- 『選挙の革新と新自由主義』
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、11頁。