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谷首古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷首古墳

墳丘
別名 谷汲古墳
所在地 奈良県桜井市阿部802(字谷汲)
位置 北緯34度30分4.55秒 東経135度50分37.55秒 / 北緯34.5012639度 東経135.8437639度 / 34.5012639; 135.8437639座標: 北緯34度30分4.55秒 東経135度50分37.55秒 / 北緯34.5012639度 東経135.8437639度 / 34.5012639; 135.8437639
形状 方墳
規模 東西35m・南北38m
高さ8.2m
埋葬施設 両袖式(または片袖式)横穴式石室
(内部に石棺か)
出土品 須恵器
築造時期 7世紀初頭-前半
史跡 奈良県指定史跡「谷首古墳」
地図
谷首古墳の位置(奈良県内)
谷首古墳
谷首古墳
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谷首古墳(たにくびこふん)は、奈良県桜井市阿部にある古墳。形状は方墳。奈良県指定史跡に指定されている。

概要

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阿部丘陵の大型石室古墳
古墳名 石室 築造時期 史跡
コロコロ山古墳 6c末-7c初 なし
谷首古墳 7c初-7c前半 県史跡
文殊院東古墳 7c前半 県史跡
艸墓古墳 7c中 国史跡
文殊院西古墳 7c後半 国特別史跡

奈良盆地南部、寺川左岸の阿部丘陵西辺に築造された古墳である[1]。現在は墳丘上に八幡神社が鎮座し、社殿造営に伴い墳丘はやや削平を受けている。古くから開口して盗掘に遭っているほか[2]、これまでに発掘調査は実施されていない[3]

墳形は方形で、墳丘各辺は正方位をとり、東西約35メートル・南北約38メートル・高さ約8.2メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式(または片袖式)の横穴式石室で、巨石を用いた大型石室であり、南方向に開口する[1]。出土品としては若干の須恵器片と凝灰岩の細片がある[2]

築造時期は、古墳時代終末期7世紀初頭-前半[4](または後期-終末期の6世紀末葉-7世紀初頭[2][1])頃と推定される。阿部丘陵では巨石墳として本古墳のほかにも艸墓古墳文殊院西古墳などが知られるほか、周辺の遺跡では大型建物跡も検出されており、古代氏族の阿倍氏との関係性が指摘される[3]。特に本古墳は阿部丘陵では最初の巨石墳であり、その嚆矢に位置づけられる[4]

古墳域は1958年昭和33年)に奈良県指定史跡に指定されている[5]

埋葬施設

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石室パース図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式(または片袖式)横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。袖は東側が非常に短い形態を取る。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:13.8メートル[3]
  • 玄室:長さ約6メートル、幅約2.8メートル、高さ約4メートル
  • 羨道:長さ約7.8メートル、幅1.7メートル、高さ1.8メートル

石室は花崗岩の巨石を使用した極めて規模の大きいものである[1]。壁面は玄室では奥壁2段積み・側壁3段積みであり、羨道では1段積みである[2]。玄室はやや持ち送って積み上げられる[2]。また天井石は玄室で2石、羨道で4石から構成される[2][1]。石室内には礫敷が認められる[1]。また凝灰岩の細片が検出されていることから、石棺の使用が推測される[3][1]

文化財

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奈良県指定文化財

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  • 史跡
    • 谷首古墳 - 所有者は八幡神社。1958年(昭和33年)3月20日指定[5]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板(奈良県教育委員会、1990年設置)
  • 「谷首古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301 
  • 清水眞一「谷首古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 「谷首古墳」『桜井の横穴式石室を訪ねて』桜井市文化財協会、2010年。 

関連項目

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外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、谷首古墳に関するカテゴリがあります。