谷口留五郎
表示
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
谷口 留五郎(たにぐち とめごろう、1867年3月23日(慶応3年2月18日) - 1942年(昭和17年)3月15日)は、日本の内務官僚。県知事。
経歴
[編集]大和国出身。谷口直満の五男として生まれる。1890年、帝国大学法科大学を卒業。同年11月、高等試験に合格し、内務省試補となり総務局に配属された。以後、鳥取県・長崎県・東京府の各参事官、秋田県・福岡県・神奈川県の各書記官、神奈川県事務官などを歴任。在任期間中の1899年に和仏法律学校(現・法政大学)を卒業[1]。
1906年7月、徳島県知事に就任。その後、岡山県知事を経て、1911年7月、鹿児島県知事となる。1914年1月の桜島の大正大噴火の復旧に尽力した。同年4月、福岡県知事に転じ、1919年4月まで在任した。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1910年(明治43年)12月26日 - 勲三等瑞宝章[3]
- 1915年(大正4年)
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲一等瑞宝章[6]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
- 外国勲章佩用允許
著書
[編集]- 『憲法原理』博文館、1890年。