谷中治
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名前 | ||||||
カタカナ | タニナカ オサム | |||||
ラテン文字 | TANINAKA Osamu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1964年9月24日(60歳) | |||||
出身地 | 東京都府中市 | |||||
身長 | 163cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1980-1982 | 帝京高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1991 | フジタ | 138 | (19) | |||
1991-1995 | 鳥栖フューチャーズ | |||||
通算 | 138 | (19) | ||||
代表歴 | ||||||
1984-1986[1] | 日本 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、東京都府中市出身の元サッカー選手。元日本代表。
略歴
[編集]現役時代は俊足を活かした快速フォワード(ウインガー)として名を馳せ、サイドから中央へと切り込み鋭いシュートを放つなど高いサッカーセンスを持つ、と帝京高校時代から将来を嘱望されていた[2]。第60回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をマークし、得点王の座に輝く[3]。帝京高での同期に楠瀬直木、1期後輩に前田治、広瀬治、平岡和徳。同高校卒業後の1983年に日本サッカーリーグの強豪・フジタ工業クラブサッカー部に入部し、翌1984年には10代で日本代表に選出され、国際Aマッチ3試合に出場した。
フジタではペルー系日系人のホルヘ平野が在籍していた縁でペルーに短期留学を経験。しかし、その後はレギュラーポジションを失うことが多くなった。 1991年、プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足を翌年に控え、地域リーグからのJリーグ昇格を狙うチームとして活動するPJMフューチャーズへ移籍。日本人最年長選手としてチームを引っ張った[4]。1995年シーズン限りで現役を引退。指導者の道をあゆみ、JACPA東京FCジュニアユースの監督を務め、今現在はBOBBIT TOKYO FC(ボビット東京フットボールクラブ)の代表を務める[5]。
所属クラブ
[編集]- 府ロクサッカー少年団(現 府ロクサッカークラブ)
- 1980年 - 1982年 帝京高校
- 1983年 - 1991年 フジタ工業/フジタ
- 1991年 - 1995年 PJMフューチャーズ/鳥栖フューチャーズ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1983 | フジタ | 18 | JSL1部 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 |
1984 | 17 | 8 | 1 | 0 | 4 | 2 | 22 | 10 | |||
1985 | 22 | 4 | 0 | 0 | 5 | 1 | 27 | 5 | |||
1986-87 | 14 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 3 | |||
1987-88 | 10 | 0 | 2 | 1 | 2 | 1 | 14 | 2 | |||
1988-89 | 10 | 12 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 14 | 3 | ||
1989-90 | 16 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 19 | 0 | |||
1990-91 | JSL2部 | 21 | 1 | 1 | 0 | ||||||
1991-92 | 18 | 1 | 2 | 0 | |||||||
1991 | PJM | 34 | 東海2部 | ||||||||
1992 | 11 | 東海 | - | - | |||||||
1993 | 旧J2 | 17 | 9 | - | |||||||
1994 | 旧JFL | 15 | 7 | - | |||||||
1995 | 鳥栖F | 13 | 0 | - | |||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 99 | 17 | 7 | 2 | |||||
日本 | JSL2部 | 39 | 2 | 3 | 0 | ||||||
日本 | 旧JFL | 28 | 7 | - | |||||||
日本 | 旧J2 | 17 | 9 | - | |||||||
総通算 |
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 2回出場(1984年/2得点、1986年/0得点)
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 3試合 0得点(1984-1986)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1984 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1985 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1986 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 |
通算 | 3 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1984年09月30日 | ソウル | 韓国 | ○2-1 | 森孝慈 | 日韓定期戦 | |
2. | 1986年07月25日 | クアラルンプール | シリア | ○2-1 | 石井義信 | ムルデカ大会 | |
3. | 1986年08月01日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-2(延長) | ムルデカ大会 |
出典
[編集]外部リンク
[編集]- 谷中治 - National-Football-Teams.com