護山神社
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金幣社 護山神社 | |
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所在地 | 岐阜県中津川市付知町1594 |
位置 | 北緯35度40分47.41秒 東経137度24分45.86秒 / 北緯35.6798361度 東経137.4127389度北緯35度40分47.41秒 東経137度24分45.86秒 / 北緯35.6798361度 東経137.4127389度座標: 北緯35度40分47.41秒 東経137度24分45.86秒 / 北緯35.6798361度 東経137.4127389度 |
主祭神 | 大山祇命、句句廼馳命、草野姫命、武甕槌命、経津主命 |
社格等 | 旧県社、金幣社 |
創建 | 天保11年(1840年) |
例祭 | 4月第4日曜日 |
主な神事 | 古祠焼納祭、麦初穂祭 |
地図 |
金幣社 護山神社(もりやまじんじゃ)は、岐阜県中津川市にある神社。同市付知町に本社、同市加子母の国有林内に奥社が鎮座する。
木曽山(美濃山)鎮護の守護神。木曽山林の総鎮守。付知町・加子母の総産土神。
御祭神
[編集]- 主神
- 配神
御由緒
[編集]天保9年(1838年)江戸城・西の丸が焼失し、再建のため裏木曽・木曽山中より御用材を大量伐採した。
伐採当初より山中で山鳴り・山火事等の怪奇現象が続出し、江戸城・大奥にまで怪奇現象が発生した。数々の怪奇現象は山神の祟りによるものとした江戸幕府は、即刻伐採した全ての切株に注連縄を張り巡らし、山神慰藉の祭典を執り行わせた。
天保11年(1840年)、第12代将軍・徳川家慶の霊山(木曽山)鎮護を趣旨とする台命により奥社が創建された。さらに祭典・参拝の利便を図り、
天保14年(1843年)に本社が創建された。奥社・本社創建に関わる現場の指揮と、創建後の神社経営は、木曽山林を管轄する尾張藩に託された。以来、尾張藩の祈願社・木曽林政の象徴として歴代藩主の崇敬篤く、当時は尾張十社の一つに数えられた。
明治維新後、御料林(皇室所有の森林)・神宮御造営材備林(神宮備林)の守護神として帝室林野局から崇敬された。
明治6年(1873年)付知村・加子母村を氏子区域として郷社に列格され
昭和33年(1958年)、岐阜県神社庁より金幣社に指定され、現在に到る。
概略
[編集]- 天保9年(1838年)、焼失した江戸城・西の丸御殿再建の為に裏木曽・木曽山中より大量伐採。それに対する山神の祟りを鎮める為、幕府は全ての切株に注連縄を張り巡らし山神慰藉の祭典を執行。
- 天保11年(1840年)、奥社創建。幕府出資、尾張藩(第12代・尾張藩主徳川斉荘)監督。
- 天保14年(1843年)、本社創建。幕府出資、尾張藩監督。以降、神社経営は幕府から尾張藩に託される。
- 明治6年(1873年)、郷社(氏子区域:付知村・加子母村)列格。
- 明治39年(1906年)、帝室林野局により木曽御料林内に、神宮備林が設置される。 護山神社は官民より御料林・神宮備林鎮護の守護神として崇敬される。
- 大正12年(1923年)、県社(岐阜県)昇格。
- 昭和33年(1958年)、金幣社(岐阜県神社庁『献幣使参向に関する規定』)列格。
例祭
[編集]- 奥社祭…4月20日
- 試楽祭…例祭前日
- 例祭(付知町春季例大祭)…4月第4日曜日
特殊神事
[編集]- 古祠焼納祭(こししょうのうさい)…5月3日
- 麦初穂祭(むぎはつほさい)…7月第3日曜日
文化財
[編集]- 岐阜県指定重要無形民俗文化財
- 木遣音頭[1]
- 中津川市指定天然記念物
- 井出之小路の木曽大ヒノキの標本[2]
その他
[編集]出典
[編集]- ^ “木遣音頭”. 岐阜市. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “井出之小路の木曽大ヒノキの標本”. 中津川市. 2013年4月25日閲覧。