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護山神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金幣社 護山神社
護山神社本社
所在地 岐阜県中津川市付知町1594
位置 北緯35度40分47.41秒 東経137度24分45.86秒 / 北緯35.6798361度 東経137.4127389度 / 35.6798361; 137.4127389北緯35度40分47.41秒 東経137度24分45.86秒 / 北緯35.6798361度 東経137.4127389度 / 35.6798361; 137.4127389 (護山神社)座標: 北緯35度40分47.41秒 東経137度24分45.86秒 / 北緯35.6798361度 東経137.4127389度 / 35.6798361; 137.4127389 (護山神社)
主祭神 大山祇命句句廼馳命草野姫命武甕槌命経津主命
社格県社金幣社
創建 天保11年(1840年
例祭 4月第4日曜日
主な神事 古祠焼納祭、麦初穂祭
地図
金幣社 護山神社の位置(岐阜県内)
金幣社 護山神社
金幣社 護山神社
金幣社 護山神社の位置(日本内)
金幣社 護山神社
金幣社 護山神社
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金幣社 護山神社(もりやまじんじゃ)は、岐阜県中津川市にある神社。同市付知町に本社、同市加子母国有林内に奥社が鎮座する。

木曽山(美濃山)鎮護の守護神。木曽山林の総鎮守。付知町・加子母の総産土神

御祭神

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  • 主神
    • 大山祇命(おおやまつみのみこと)…山神
    • 句句廼馳命(くくのちのみこと)…木祖
    • 草野姫命(かやのひめのみこと)…草祖
  • 配神

御由緒

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天保9年(1838年江戸城西の丸が焼失し、再建のため裏木曽木曽山中より御用材を大量伐採した。

伐採当初より山中で山鳴り・山火事等の怪奇現象が続出し、江戸城・大奥にまで怪奇現象が発生した。数々の怪奇現象は山神の祟りによるものとした江戸幕府は、即刻伐採した全ての切株に注連縄を張り巡らし、山神慰藉の祭典を執り行わせた。

天保11年(1840年)、第12代将軍・徳川家慶の霊山(木曽山)鎮護を趣旨とする台命により奥社が創建された。さらに祭典・参拝の利便を図り、

天保14年(1843年)に本社が創建された。奥社・本社創建に関わる現場の指揮と、創建後の神社経営は、木曽山林を管轄する尾張藩に託された。以来、尾張藩の祈願社・木曽林政の象徴として歴代藩主の崇敬篤く、当時は尾張十社の一つに数えられた。

明治維新後、御料林(皇室所有の森林)・神宮御造営材備林(神宮備林)の守護神として帝室林野局から崇敬された。

明治6年(1873年)付知村・加子母村を氏子区域として郷社に列格され

大正12年(1923年)に岐阜県の県社に昇格した。

昭和33年(1958年)、岐阜県神社庁より金幣社に指定され、現在に到る。

概略

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  • 天保9年(1838年)、焼失した江戸城・西の丸御殿再建の為に裏木曽・木曽山中より大量伐採。それに対する山神の祟りを鎮める為、幕府は全ての切株に注連縄を張り巡らし山神慰藉の祭典を執行。
  • 天保11年(1840年)、奥社創建。幕府出資、尾張藩(第12代・尾張藩主徳川斉荘)監督。
  • 天保14年(1843年)、本社創建。幕府出資、尾張藩監督。以降、神社経営は幕府から尾張藩に託される。
  • 明治6年(1873年)、郷社(氏子区域:付知村・加子母村)列格。
  • 明治39年(1906年)、帝室林野局により木曽御料林内に、神宮備林が設置される。 護山神社は官民より御料林・神宮備林鎮護の守護神として崇敬される。
  • 大正12年(1923年)、県社(岐阜県)昇格。
  • 昭和33年(1958年)、金幣社(岐阜県神社庁『献幣使参向に関する規定』)列格。

例祭

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  • 奥社祭…4月20日
  • 試楽祭…例祭前日
  • 例祭(付知町春季例大祭)…4月第4日曜日

特殊神事

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  • 古祠焼納祭(こししょうのうさい)…5月3日
  • 麦初穂祭(むぎはつほさい)…7月第3日曜日

文化財

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岐阜県指定重要無形民俗文化財
  • 木遣音頭[1]
中津川市指定天然記念物
  • 井出之小路の木曽大ヒノキの標本[2]

その他

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  • 神宮(伊勢神宮)の神宮式年遷宮裏木曽御用材伐採式の後、御樋代木奉曳式(岐阜県経由)の出発地として護山神社にて御神木祭が執り行われる。

出典

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  1. ^ 木遣音頭”. 岐阜市. 2013年4月25日閲覧。
  2. ^ 井出之小路の木曽大ヒノキの標本”. 中津川市. 2013年4月25日閲覧。

外部リンク

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