西嶋一記
明治大学硬式野球部 投手コーチ | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 神奈川県横浜市泉区 |
生年月日 | 1989年2月28日(36歳) |
身長 体重 |
187 cm 91 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球指導者。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]横浜市立上飯田中学時代には瀬谷シニアに所属し、全日本選抜に選ばれる。父も少年野球の監督を務める。
横浜高校進学後は1年春からベンチ入りするが、1年秋の県大会準決勝では満塁弾を浴び逆転負けを喫する。3年夏の県大会では4試合に先発し好成績を残した。3年春と夏には甲子園に出場し、リリーフとして登板した。
明治大学進学後は1年春から公式戦に登板するが、左肩の故障に加え野村祐輔らの台頭もあり2年春から3年春にかけては登板が減る。しかし3年秋にはリーグ1位の防御率1.13を記録する活躍でリーグ優勝に貢献し、U-26 NPB選抜 対 大学日本代表の代表に選抜され、世界大学野球選手権日本代表の候補にも選ばれる活躍を見せる。
2010年11月20日、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ[1]。
プロ入り後
[編集]2011年はパイオニアリーグのアドバンスドルーキー級オグデン・ラプターズでプレーし、14試合の登板で2勝1敗、防御率5.51、WHIP1.41の成績を残した。
2012年もオグデンでプレー。16試合の登板で8勝1敗、防御率4.57、WHIP1.44の成績を残し、シーズン終了後には「結果を残さないといけないので、勝ちがついてきたのはいいこと。2、3年後のメジャー昇格を目標とし、山本昌さんや斎藤隆さんみたいに長くやれるようになりたい」と語った[2]。
2013年3月23日に解雇される。
ドジャース退団後
[編集]2013年6月から社会人野球の熊本ゴールデンラークスでプレー[3]。
2015年から富士重工業へ移籍、同年3月に行われた第70回JABA東京スポニチ大会では決勝戦の対Honda戦でロングリリーフ、無失点に抑えて優勝投手となったが、翌2016年限りで現役を引退。同社で社業に就いた[4]。
2018年12月に学生野球資格回復制度研修を受講して、2019年2月5日付で資格を回復[注 1][5]。同年春より母校・明治大学のコーチに就任し、平日は会社員生活を送り、休日に都内の明治大学グラウンドを訪問して指導を行っている[6]。教え子に森下暢仁がいる[7]。
プレースタイル
[編集]最速143km/hの速球と同じ振りから100km/h台前半のカーブ、スライダー、ツーシーム気味のスクリューボールを投げ分ける[8]。
フォームにもまとまりがあり、大学4年時には与四球率1.69をマークした制球力も持ち味[8]。
人物
[編集]憧れの選手には高橋尚成や内海哲也を挙げ、アメリカの環境やベースボールそのものの雰囲気が好きだと語っている[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ かつて海外のプロ経験者は講習の対象外であったが、この年より受講が可能となった。
注釈
[編集]- ^ ドジャース 明大左腕と熊本の高校生右腕と契約 スポニチ、2010年11月19日。
- ^ 米マイナーの西嶋 充実2年目「課題見えてきた」スポニチ、2012年11月15日
- ^ 元ドジャース傘下・西嶋(熊本ゴールデンラークス)1日開幕の都市対抗予選で初見参西日本スポーツ、2013年6月1日。
- ^ 明治大学の西嶋一記コーチ、メジャー挑戦など異色の球歴を指導に生かす(上)4years. 2021年9月28日閲覧
- ^ “学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2021年12月18日閲覧。
- ^ “明大・西嶋コーチは元ドジャース傘下など異色の経歴”. 日刊スポーツ. (2019年6月17日) 2020年10月18日閲覧。
- ^ “明大・森下、メジャー流指導で「心・技・体」レベルアップ”. SANSPO.COM. (2019年6月20日) 2020年10月18日閲覧。
- ^ a b c 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、176-179頁。