西大路吉光
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西大路吉光 にしおおじ よしみつ | |
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生年月日 | 1874年11月6日 |
没年月日 | 1953年12月12日(79歳没) |
出身校 | 東京帝国大学農科大学林学実科修了(現東京農工大学) |
前職 | 農商務省嘱託 |
所属政党 | 研究会 |
在任期間 | 1911年7月10日 - 1947年5月2日 |
西大路 吉光(にしおおじ よしみつ、1874年(明治7年)11月6日[1] - 1953年(昭和28年)12月12日[1][注 1])は、大正から昭和期の農林技官、政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]雅楽部長・竹屋光昭の四男として生まれる[1][2][3]。子爵・西大路隆修の死跡を相続し[2][3]、1896年(明治29年)2月3日、子爵を襲爵した[4]。
1901年(明治29年)東京帝国大学農科大学林学実科を修了[2][3][5]。同年、営林技手に就任[2][3][5]。以後、同主事兼大林区署書記、山林局技手兼林務官官補、山林技師、林務技師などを歴任し、森林主事教習講師、農商務省嘱託も務めた[2][3][5]。
1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し[5]、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[5]。
親族
[編集]- 養父:西大路隆修
- 父親:竹屋光昭
- 母親:太田信熙の娘。
- 妻:西大路八千代 - 琴陵宥常二女。[1]
- 実兄:南光利 (男爵)
- 実姉:竹屋津根子 (貞明皇后の典侍)
- 実妹:竹屋志計子 (香淳皇后の女官長)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』50頁では12月18日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 西大路隆修 |
子爵 西大路家第2代 1896年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |