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被爆ピアノ

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映像外部リンク
2017年ノーベル平和賞コンサート
Hibaku "Atomic" Piano Intro - ジョン・レジェンドザラ・ラーソン神のみぞ知る』。用いたピアノは広島市宇品で被爆し矢川光則が再生したもの[1]

被爆ピアノ(ひばくピアノ)は、1945年8月の日本への原子爆弾投下によって被爆したピアノ

概要

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1991年の湾岸戦争を契機として、音楽を通じた平和・環境活動を開始したジャズピアニスト河野康弘が、日本には山の木を伐採してつくられたピアノが約450万台眠っていることを知り、古いピアノの再利用が自然との共生と考え、1992年からピアノの再利用活動を開始した。

河野は、1994年ころから広島へ行くようになり、原爆のこと、平和のことを沢山の方に考えてほしいと考え、原爆ドーム前でのコンサート開催を構想する。そして「広島にはきっと被曝ピアノが眠っているのではないか」と考え、被爆したであろうピアノを探し始める[2]。その後、呉市の中学校で被曝したピアノの提供を受け、矢川光則に整備を依頼。1997年8月6日、8:10より広島現代美術館で被爆ピアノによる演奏を行う。これが被爆ピアノの始めての演奏となった[3]。翌1998年8月5日には、原爆ドーム元保川対岸ステージ「地球ハーモニーコンサート」で矢川光則が発見した被曝ピアノ2台で演奏した[4]

2016年時点で広島市に9台・長崎市に1台・仙台市に1台合計11台が現存する[5]。うち仙台のものは広島で被爆した[6]ことから広島市への原子爆弾投下によるものが10台、長崎市への原子爆弾投下によるものが1台になる。いくつかは再生され演奏活動を続け、2017年ノーベル平和賞コンサートでその存在が世界的に知られるようになる[7]。なお矢川は2018年時点で「新たな被爆ピアノが出てくることはもうないだろう」とコメントしている[8]

現存

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広島

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1 (呼称なし) 製造年不明のアップライトピアノ
2 明子さんのピアノ 1926年エリントン(ボールドウィン製)アップライトピアノ[10]
  • 所有者は同年に生まれた帰米二世であり、アメリカで生まれた際に両親が購入し帰国時に持ち込んだ[10]
  • 爆心地から約2.5kmの三滝町の民家で被爆[11]。所有者は爆心地から約1kmのところで被爆し、翌8月7日に亡くなっている[11]
  • 戦後両親が保管、2005年に社団法人HOPEプロジェクトへ託され、演奏活動が行われていた[11]。2020年から平和記念公園レストハウスに常設展示される[11]

以下の6台は河野と矢川の活動によって再生されたもの[12][13]。2001年、矢川が広島県内で演奏活動を開始、2005年から全国で活動を始めている[14]

3 ミサコのピアノ(千田町ピアノ) 1932年(昭和7年)ヤマハ製アップライトピアノ[12][15]
  • 爆心地から約1.8kmの千田町の民家で被爆。
  • 2005年に所有者から矢川へ託された[12][15]
4 カズコのピアノ(段原ピアノ) 製造年度不明のホルゲル(HORUGEL(ドイツ))製アップライトピアノ[12]
  • 爆心地から約2.6kmの段原の民家で被爆。当時所有者と同地で一緒に被爆している。
  • 2009年に所有者から矢川へ託された[12][15]
5 宇品ピアノ 1938年(昭和13年)ヤマハ製アップライトピアノ[12][15]
  • 爆心地から約3kmの宇品の民家で被爆。
  • 1998年に被爆者団体から矢川へ託された[12][15]
  • 2017年ノーベル平和賞コンサートで用いられた[1]
6 舟入ピアノ 1920年(大正9年)ヤマハ製アップライトピアノ[12]
  • 爆心地から1.5kmの舟入の民家で被爆、側面にガラス片が刺さった跡が残る。当時所有者と同地で一緒に被爆している[12][16][15]
  • 2014年、所有者から矢川に託された[12][16][15]
7 グランドピアノ 1937年(昭和12年)ヤマハ製セミコンサートグランドピアノ[12]
  • 所有者は音楽の指導者で、爆心地から2kmの小学校(現・西区)で被爆し爆風でばらばらになった[12][15][17]
  • 1946年(昭和21年)、広島ピアノ工場で大がかりな修復が行われた[12][15][17]
  • 所有者の死後はその教え子である広島市のピアノ教師が譲り受け、2014年に矢川へ託された[12][15][17]
8 牛田ピアノ 製造年度不明のモルゲンスターン(国産ブランド)アップライトピアノ[12]
  • 爆心地から約2.3kmの牛田旭の民家で被爆、爆風によるガラス片も残っていた。当時所有者と同地で一緒に被爆している[12][8][5]
  • 2016年に所有者から矢川へ託された[12][8][5]

長崎

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1 (呼称なし) 製造年不明のヤマハ製アップライトピアノ[18]
  • 爆心地から2.8kmにあった民家で被爆、爆風で飛散したガラス片が刺さった跡が残る[18]
  • 終戦後も所有者が用いていたが使わなくなったため、1984年に長崎原爆資料館へ寄贈された[18]
  • 2006年、長崎資料館の企画展で一度展示されたが、現在は収蔵庫に保管されている[18]。広島のものと同様に修復され利用可能であるとされるが、寄贈された原爆資料は現状保存が前提であるため、そのままの状態となっている[18]

仙台

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1 (呼称なし) 製造年度不明のアップライトピアノ
  • 1933年、所有者が母から買ってもらう。結婚により広島に在住、ピアノは夫の実家に置いていた。爆心地から3km(4kmとも)で被爆する[6][19]
  • 後に転居するも、その際ピアノも持参した。2003年、仙台市内の工房に修理に出し、再生された[6][19]
  • 現在も個人が所有[6][19]

メディア

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書籍
  • 指田和子、坪谷令子『ヒロシマのピアノ』文研出版 、2007年7月、ISBN 978-4580820005
  • 松谷みよ子『ミサコの被爆ピアノ』講談社 、2007年7月、ISBN 978-4062141345
  • 矢川光則『世の中への扉 海をわたる被爆ピアノ』講談社 、2010年7月、ISBN 978-4062163514
楽曲
映画

脚注

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  1. ^ a b 被爆ピアノ オスロへ 平和賞授賞式 関連行事で演奏”. 中国新聞 (2017年11月28日). 2020年5月1日閲覧。
  2. ^ 1997年7月8日中国新聞 https://earth-harmony21.blogspot.com/2022/11/199778.html
  3. ^ https://earth-harmony21.blogspot.com/2022/11/199786810.html
  4. ^ http://www.yohkin.com/index.php?%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BCin%E5%BA%83%E5%B3%B6 8月6日に原爆ドーム前ででマル・ウォルドロンと河野康弘の平和ライブが開かれる(広島青年会議所主催)
  5. ^ a b c 被爆ピアノ見つかる 爆心地から約2.3キロの広島市東区牛田旭”. 中国新聞 (2016年2月29日). 2020年5月1日閲覧。
  6. ^ a b c d 被爆ピアノ=河北紙掲載”. 仙台ピアノ工房 (2010年8月8日). 2020年5月1日閲覧。
  7. ^ RCCテレビ 令和元年 8・6関連特別番組”. 中国放送. 2020年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月1日閲覧。
  8. ^ a b c 被爆ピアノ 新たな1台 広島の矢川さん 再生6台目”. 中国新聞 (2018年6月25日). 2020年5月1日閲覧。
  9. ^ a b 被爆資料”. 広島平和記念資料館. 2020年5月1日閲覧。
  10. ^ a b 平和を奏でる明子さんのピアノ 第1部 よみがえった音色<4>修復”. 中国新聞 (2020年4月24日). 2020年5月1日閲覧。
  11. ^ a b c d 被爆ピアノ常設展示へ 平和記念公園レストハウス”. 中国新聞 (2020年4月20日). 2020年5月1日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 被爆(ひろしま原爆)ピアノへのとりくみ”. 矢川ピアノ工房. 2020年5月1日閲覧。
  13. ^ 被ばくピアノ”. 河野康弘. 2020年5月1日閲覧。
  14. ^ 福島に再生の音を 広島の調律師 矢川さん”. 中国新聞 (2011年10月12日). 2020年5月1日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h i j ピースピアノ プロフィール” (PDF). 被爆ピアノ(広島原爆ピアノ). 2020年5月1日閲覧。
  16. ^ a b 被爆ピアノ「里帰り演奏」 舟入住民ら開催”. 中国新聞 (2014年11月10日). 2020年5月1日閲覧。
  17. ^ a b c 魂のピアノ演奏 胎内被爆者の好井さん「人生かけたい」”. 中国新聞 (2009年1月19日). 2020年5月1日閲覧。
  18. ^ a b c d e 被爆ピアノ、長崎に眠る 無数のガラス片刺さった跡 戦後も演奏「存在知って」”. 西日本新聞 (2019年11月14日). 2020年5月1日閲覧。
  19. ^ a b c 被爆ピアノ 朝日新聞掲載”. 仙台ピアノ工房 (2010年8月25日). 2020年5月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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