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衣笠丸 (特設水上機母艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
衣笠丸
衣笠丸。1938年撮影。
基本情報
船種 貨物船
クラス 衣笠丸級貨物船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 国際汽船
大阪商船
運用者 国際汽船
大阪商船
 大日本帝国海軍
建造所 川崎重工業神戸造船所
母港 東京港/東京都
大阪港/大阪府
姉妹船 香久丸
香椎丸[1]
信号符字 JHEL
IMO番号 41235(※船舶番号)
建造期間 203日
就航期間 3,125日
経歴
起工 1935年8月10日[2]
進水 1935年12月26日[3]
竣工 1936年2月28日[3]
除籍 1945年3月10日
最後 1944年10月7日被雷沈没
要目
総トン数 6,808トン(1936年)[4]
8,407トン(1940年)[5]
純トン数 3,717トン(1936年)
5,020トン(1940年)
載貨重量 9,345トン(1936年)[4]
10,141トン(1940年)[5]
排水量 不明
登録長 138.31m(1936年)[4]
139.07m(1940年)[5]
垂線間長 137.16m
型幅 18.59m[2]
型深さ 9.47m(1936年)[4]
12.21m(1940年)[5]
高さ 25.90m(水面から1番・4番マスト最上端まで)
14.02m(水面から2番・3番マスト最上端まで)
13.71m(水面から煙突最上端まで)
喫水 3.59m[4]
満載喫水 8.39m(1936年)[4]
8.52m(1940年)[5]
主機関 川崎MAN型D7Z70/120ディーゼル機関 1基[4]
推進器 1軸[4]
最大出力 7,740BHP[2]
定格出力 7,000BHP[2]
最大速力 19.1ノット[4]
航海速力 16.0ノット[4]
航続距離 16.5ノットで34,000海里
乗組員 53名(1936年)[4]
50名(1940年)[5]
清澄丸級貨物船は準姉妹船
1937年8月14日徴用。
高さは米海軍識別表[6]より(フィート表記)。
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衣笠丸
基本情報
艦種 特設運送船(給炭油船)
特設水上機母艦
特設運送船
艦歴
就役 1937年8月15日(海軍籍に編入時)
横須賀鎮守府部隊/横須賀鎮守府所管
要目
兵装 特設運送船(給炭油船)時
なし
特設水上機母艦時
十年式12cm高角砲2門
単装機銃1基1門
探照灯
装甲 なし
搭載機 水上偵察機10機
徴用に際し変更された要目のみ表記。
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衣笠丸(きぬがさまる)は、国際汽船の衣笠丸型貨物船[2]のネームシップ。日中戦争から太平洋戦争にかけて、特設給炭油船、特設水上機母艦、特設運送船として運用された。

概要

[編集]

第一次世界大戦時、鋼材不足に悩むアメリカは、1917年(大正6年)に対日本向けの鋼材輸出を禁止する[7]。当時、日本における造船用鋼材はアメリカからの購入に頼っていたので、禁輸措置によって日本の海運や造船業は大打撃を受けることとなった[7]。そこで、松方幸次郎金子直吉浅野総一郎の尽力により、アメリカが完成船1重量トン当たり鋼材0.5トンを日本に提供し、日本側はその鋼材で建造した完成船をアメリカに引き渡すという日米船鉄交換契約を1918年(大正7年)4月に締結[7]。これにより、日本の造船業はアメリカ提供分・日本提供分合わせて約100万重量トン分の貨物船を建造したが、条約締結後約半年で大戦が終結し、せっかくの完成船はダブついて過剰船腹状態となった[7]。この過剰船腹対策として設立されたのが国策会社の国際汽船で、当初は目的どおり過剰に建造された大福丸型貨物船などを中心とする船隊を構成し、川崎造船所および川崎汽船と組んで「Kライン」を創設した[8]。その後、「Kライン」からの離脱を経て1929年(昭和4年)ごろから高速優秀船主義を採用し、船舶改善助成施設を活用して大幅な船質改善を図ることとなった[9]。衣笠丸建造の際、国際汽船は第二次船舶改善助成施設を活用し、その見合い解体船として自社持ち船の中から貨物船百合丸(6,787トン)を充当したが[10]、国際情勢悪化により船腹不足が懸念されたため、解体期限延長の末戦没した[注釈 1]

衣笠丸は川崎造船所で建造され[11]1936年(昭和11年)2月28日に竣工した。竣工後の処女航海ではニューヨークに向かい、次いでヨーロッパ航路に就航[11]。しかし、1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争により、商業航海から一時離れることとなる。8月14日付で日本海軍に徴傭され、翌8月15日に特設運送船(給炭油)として入籍する[3]。1ヵ月後の9月27日付で特設水上機母艦に類別変更され、横須賀海軍工廠で所定の艤装工事を終えた後[12]第三艦隊長谷川清大将・海軍兵学校31期)付属として中国沿岸部に進出し、杭州湾上陸作戦および南京攻略戦の支援や海上封鎖行動に従事する[13]。やがて戦線が奥地へ移動したため水上機隊の作戦もとりあえず終了し、1938年(昭和13年)4月28日付で特設運送船に類別変更の後[3]1939年(昭和14年)9月10日付で解傭されて商業航海に復帰した[3]

1941年(昭和16年)11月4日、衣笠丸は日本海軍に再度徴傭され、11月10日付で特設運送船として入籍[3]。11月5日から11月20日まで、日本鋼管鶴見造船所で艤装工事が行われた[3]。太平洋戦争開戦後は1942年(昭和17年)4月まではミンダナオ島攻略戦、アンダマン諸島攻略戦に参加[14]。5月から6月にかけてはアリューシャン方面の戦いに転じ、キスカ島攻略戦に加わった[15]。その後は日本と南方各地を往復する輸送船として行動した[16][17]1943年(昭和18年)11月16日、国際汽船が戦時統合により大阪商船に吸収合併されたことにより、衣笠丸も大阪商船に移籍する[18]。昭和18年7月から運航を開始したヒ船団にもしばしば加入した。

1944年(昭和19年)10月1日、衣笠丸は日本海軍の軍需部などの要員や民間人約1,000名を乗せ[19]ヒ77船団に加入して門司を出港した。10月7日夜22時ごろ、北緯14度37分 東経115度55分 / 北緯14.617度 東経115.917度 / 14.617; 115.917の地点[20]を航行中のヒ77船団は、アメリカ潜水艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366) 、バヤ (USS Baya, SS-318) およびベクーナ (USS Becuna, SS-319) からなるウルフパックの攻撃を受けた。ベクーナは船団との距離が遠く攻撃に間に合わなかったが[21]、ホークビルは21時47分[注釈 2]に第一撃を仕掛ける事ができた[22]。その攻撃は失敗に終わるも[22]、30分後の22時24分[注釈 3]に行われた第二撃では、浮上攻撃により魚雷を3本発射し、うち魚雷2本を「大型貨物船」に命中させた[23]。バヤもホークビルの第二撃からわずか6分後の22時30分[注釈 4]に「大型貨物船」に対して魚雷を6本発射し、うち2本を命中させた[24]。一連の攻撃により魚雷が命中した衣笠丸はたちまち左に傾斜し、二度の爆発の後わずか8分で沈没した[19]。便乗者の犠牲は10名と少なかったが、乗組員の犠牲者は32名を数えた[19]1945年(昭和20年)3月10日付で除籍および解傭[3]。衣笠丸の撃沈はホークビルとバヤの共同戦果として扱われた[25]

なお主要目の一部数値が上方修正されているが[4][5]、その理由は定かではない。

艦長等

[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

監督官
  • 片原常次郎 予備海軍大佐:1937年8月18日 - 1937年9月27日
艦長
  • 片原常次郎 予備海軍大佐:1937年9月27日 - 1937年11月15日
  • 青木泰二郎 海軍大佐:1937年11月15日[26] - 1938年4月28日[27]
監督官
  • 日台虎治 予備海軍大佐:1938年4月28日 - 1938年12月1日
  • 石戸勇三 予備海軍大佐:1938年12月1日 - 1939年6月15日
  • 木岡蟻志松 海軍大佐:1939年6月15日[28] - 1939年9月10日[29]
  • 有馬直 海軍大佐:1942年5月7日[30] - 1942年7月20日[31]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1943年(昭和18年)11月28日、米潜レイトンの雷撃により被雷轟沈。
  2. ^ #SS-366, USS HAWKBILLpp.38-39 記載時間
  3. ^ #SS-366, USS HAWKBILLpp.40-41 記載時間
  4. ^ #SS-318, USS BAYApp.31-33 記載時間

出典

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  1. ^ 衣笠丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年11月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e 衣笠丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年11月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h #特設原簿p.98
  4. ^ a b c d e f g h i j k l #日本汽船名簿1939
  5. ^ a b c d e f g #日本汽船名簿1943
  6. ^ Kasii_Maru_class
  7. ^ a b c d #松井p.118
  8. ^ #松井p.119
  9. ^ #松井p.120
  10. ^ 「輓近に於ける本邦造船界の囘顧」『造船協会会報』1940年6月(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b #野間p.369
  12. ^ #衣笠丸(1)
  13. ^ #日本の軍艦4p.217
  14. ^ #衣笠丸(2)
  15. ^ #衣笠丸(3)p.47
  16. ^ #衣笠丸(3)pp.48-50
  17. ^ #衣笠丸(4)
  18. ^ #松井p.121
  19. ^ a b c #野間p.370
  20. ^ #駒宮p.268
  21. ^ #SS-319, USS BECUNAp.16
  22. ^ a b #SS-366, USS HAWKBILLpp.38-39
  23. ^ #SS-366, USS HAWKBILLpp.40-41
  24. ^ #SS-318, USS BAYApp.31-33
  25. ^ #Roscoe p.564
  26. ^ 海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500 
  27. ^ 昭和13年 海軍辞令公報 完(部内限)4月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073700 
  28. ^ 海軍辞令公報(部内限)第347号 昭和14年6月16日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075900 
  29. ^ 海軍辞令公報(部内限)第378号 昭和14年9月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076300 
  30. ^ 海軍辞令公報(部内限)第855号 昭和17年5月7日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085400 
  31. ^ 海軍辞令公報(部内限)第903号 昭和17年7月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086300 

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050073300『昭和十四年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、41頁。 
    • Ref.C08050083200『昭和十八年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、2頁。 
    • Ref.C11083193600『(衣笠丸)航泊日誌 自昭和12年10月1日至昭和12年10月31日』。 
    • Ref.C08050019900『大東亜戦争徴傭船 衣笠丸 行動概見表』、12-13頁。 
    • Ref.C08050023500『大東亜戦争徴傭船 衣笠丸 行動概見表』、47-50頁。 
    • Ref.C08050025900『大東亜戦争徴傭船 衣笠丸 行動概見表』、6-10頁。 
    • Ref.C08050029900『大東亜戦争徴傭船 衣笠丸 行動概見表 自 十八・六・一 至 一一・三〇』、7-9頁。 
  • 新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
  • (Issuu) SS-366, USS HAWKBILL. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-366_hawkbill 
  • (Issuu) SS-318, USS BAYA. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-318_baya 
  • (Issuu) SS-319, USS BECUNA. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-319_becuna 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 瀬名堯彦「日華事変に使われた特設水上機母艦」 著、雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦4 空母II』光人社、1989年、214-217頁。ISBN 4-7698-0454-7 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)『戦前船舶 第104号・特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿』戦前船舶研究会、2004年。 
  • 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯14度37分 東経115度55分 / 北緯14.617度 東経115.917度 / 14.617; 115.917