蜂須賀重矩
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蜂須賀重矩肖像 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 享保14年(1729年) |
死没 | 寛延4年閏6月13日(1751年8月4日) |
改名 | 文太郎(幼名)、充矩(初名)、重矩 |
墓所 | 徳島県徳島市の興源寺 |
官位 | 従四位下民部大輔 |
藩 | 阿波徳島藩世嗣 |
氏族 | 蜂須賀氏 |
父母 |
蜂須賀宗員 蜂須賀宗鎮 |
兄弟 | 常千代、重矩、井伊直禔婚約者 |
蜂須賀 重矩(はちすか しげのり)は、江戸時代中期の阿波国徳島藩の世嗣。官位は従四位下・民部大輔。
略歴
[編集]6代藩主・蜂須賀宗員の次男として誕生。幼名は文太郎、初名は充矩(みつのり)。
父の死後、幼少だったため家督を継げず、8代藩主・蜂須賀宗鎮の養子となる。延享4年(1747年)に徳川家重に拝謁し叙任、またその偏諱を受けて重矩と改名する。しかし、家督を継ぐことなく寛延4年(1751年)に23歳で早世した。
代わって、従弟にあたる重隆が養子に迎えられ嫡子となる(しかし、これものちに廃嫡された)。