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蜂屋村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はちやむら
蜂屋村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 合併
三和村(一部)、太田町古井町下米田村伊深村蜂屋村山之上村加茂野村美濃加茂市
現在の自治体 美濃加茂市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
加茂郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 12.71 km2.
総人口 3,949
(1954年)
隣接自治体 加茂郡太田町古井町川辺町三和村山之上村加茂野村和知村富田村加治田村
蜂屋村役場
所在地 岐阜県加茂郡蜂屋村上蜂屋8-1
座標 北緯35度28分19秒 東経137度00分19秒 / 北緯35.47186度 東経137.00533度 / 35.47186; 137.00533座標: 北緯35度28分19秒 東経137度00分19秒 / 北緯35.47186度 東経137.00533度 / 35.47186; 137.00533
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蜂屋村(はちやむら)は、かつて岐阜県加茂郡にあったである。

現在の美濃加茂市北部に該当し、周囲を低い山に囲まれている。長良川支流の蜂屋川の上流である。

古くから渋柿の一種である「蜂屋」の生産地である。平安時代中期に美濃国国司が朝廷に干し柿を献上し、高い評価を受けたという記録がある。

歴史

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  • 1188年文治4年) - 蜂屋太夫という人物が源頼朝に、地元の干し柿を献上する。頼朝はその干し柿を高く評価し、その柿を「蜂屋」と名づけたという。そのことから柿の産地を「蜂屋村」と称したという[1]。以降、蜂屋村の干し柿は権力者に献上されていったという。また、年貢として、米の代わりに干し柿を納めていた[2]
  • 江戸時代初期、蜂屋村は美濃国加茂郡に属し、尾張藩領であった。蜂屋柿を尾張藩へ献上することにより、諸役免除の特権を得ていた。また、蜂屋柿は幕府にも献上されていたという。
  • 江戸時代中期、蜂屋村は、上蜂屋村、中蜂屋村、下蜂屋村に分立する。
  • 1889年明治22年)7月1日 - 上蜂屋村、中蜂屋村、下蜂屋村、伊瀬村が合併し発足。
  • 1954年昭和29年)4月1日 - 太田町古井町下米田村伊深村山之上村加茂野村、および三和村の一部と合併して美濃加茂市が発足。同日蜂屋村廃止。

学校

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神社・仏閣

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脚注

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  1. ^ 1163年長寛元年)にすでに蜂屋という地名の記述があるが、詳細は不明。
  2. ^ 豊臣秀吉は、蜂屋柿100個上納で年貢米5斗(約375kg)免除と定めていたという。

関連項目

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