蘆名詮盛
表示
時代 | 室町時代 |
---|---|
生誕 | 興国7年/貞和2年(1346年) |
死没 | 応永14年9月15日(1407年10月6日)[1] |
別名 | 会津小太郎 |
官位 | 従五位下弾正少弼、遠江守 |
氏族 | 桓武平氏良文流蘆名氏 |
父母 | 父:蘆名直盛 |
子 | 盛政、満盛、最上満直室 |
蘆名 詮盛(あしな あきもり/のりもり)は、室町時代前・中期の武将。蘆名氏の第8代当主。
概要
[編集]興国7年/貞和2年(1346年)、第7代当主・蘆名直盛の子として誕生。
生年から判断して、元服時には足利義詮が将軍であったと思われ、「詮」の字も義詮から偏諱の授与を受けたものと考えられる。次男の満盛(みつもり)も義詮の子・義満から偏諱の授与を受けている。
主な活動として、源翁心昭が会津に立ち寄った際に帰依し、慶徳寺を建立したことが挙げられる。