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藤錦千代吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤錦 千代吉
基礎情報
四股名 藤錦 千代吉
本名 福田 千代吉
生年月日 1920年1月9日
没年月日 (1961-06-28) 1961年6月28日(41歳没)
出身 北海道寿都郡寿都町
身長 177cm
体重 90kg
BMI 28.73
所属部屋 二所ノ関部屋
得意技 右四つ、上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位前頭18枚目
生涯戦歴 109勝104敗20休(24場所)
幕内戦歴 8勝16敗(2場所)
優勝 三段目優勝2回
データ
初土俵 1938年5月場所
入幕 1948年10月場所
引退 1950年5月場所
備考
2019年7月26日現在

藤錦 千代吉(ふじにしき ちよきち、1920年1月9日 - 1961年6月28日)は、北海道寿都郡寿都町出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 千代吉(ふくだ ちよきち)。最高位は東前頭18枚目(1948年10月場所)。現役時代の体格は177cm、90kg。得意手は右四つ、上手投げ[1]

来歴・人物

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18歳の時に二所ノ関部屋へ入門し、1938年5月場所で初土俵[1]。翌年1月、「藤錦」の四股名序ノ口に付いた[1]

以来、徐々に番付を上げ、1945年11月場所で新十両に昇進。

そして、1948年10月場所で新入幕を果たした[1]

肩幅の広さを生かした投げ技を得意としたが、勝ち身が遅く、小柄な体格であった事も災いして幕内では活躍できなかった。

1950年5月場所後、30歳で廃業[1]

三段目にいた頃、後の横綱千代の山(当時、「杉村」)に勝ち、その序ノ口以来の連勝記録を止めた相撲が印象に残る。

1961年6月28日、41歳という若さで急逝した。

主な戦績

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  • 通算成績:109勝104敗20休 勝率.512
  • 幕内成績:8勝16敗 勝率.333
  • 現役在位:24場所(※番付外1場所を除く)
  • 幕内在位:2場所
  • 各段優勝
  • 三段目優勝:2回(1941年5月場所、1943年5月場所)

場所別成績

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藤錦 千代吉
春場所 夏場所 秋場所
1938年
(昭和13年)
x (前相撲) x
1939年
(昭和14年)
東序ノ口18枚目
4–3 
東序二段32枚目
5–3 
x
1940年
(昭和15年)
東三段目63枚目
4–4 
東三段目50枚目
3–5 
x
1941年
(昭和16年)
西三段目50枚目
6–2 
東三段目9枚目
優勝
7–1
x
1942年
(昭和17年)
西幕下31枚目

兵役
 
東幕下30枚目
4–4 
x
1943年
(昭和18年)
東幕下26枚目
0–1–7 
西三段目10枚目
優勝
7–1
x
1944年
(昭和19年)
西幕下29枚目
4–4 
西幕下20枚目
2–3 
西幕下21枚目
4–1 
1945年
(昭和20年)
x 西幕下3枚目
4–1 
西十両10枚目
6–4 
1946年
(昭和21年)
x x 西十両5枚目
6–7 
1947年
(昭和22年)
x 東十両8枚目
5–5 
西十両4枚目
6–5 
1948年
(昭和23年)
x 東十両3枚目
8–3 
東前頭18枚目
4–7 
1949年
(昭和24年)
西前頭20枚目
4–9 
東十両2枚目
5–10 
西十両5枚目
5–10 
1950年
(昭和25年)
西十両11枚目
6–9 
西十両12枚目
引退
0–2–13
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 0 1 明瀬川 0 1 五ツ海 0 1 梅錦 2 0
大内山 0 1 大熊 0 1 大起 0 1 大蛇潟 1 0
清恵波 0 1 九州錦 2 0 相模川 0 1 大岩山(羽衣) 1 1
備州山 0 1 二瀬山 0 2 緑國 2 0 山口 0 1
若葉山 0 1

改名歴

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  • 藤錦 千代吉(ふじにしき ちよきち)1939年1月場所 - 1950年5月場所

脚注

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  1. ^ a b c d e ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p35

参考文献

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関連項目

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