藤崎三郎助
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四代目藤崎 三郎助(ふじさき さぶろうすけ、1868年6月29日(慶応4年5月10日[1])- 1926年(大正15年)6月16日[1])は、明治から大正時代の実業家。宮城県多額納税者[2]。藤崎 (百貨店)創業者。
経歴
[編集]陸奥国宮城郡仙台城下大町(現宮城県仙台市青葉区大町)で、先代・三郎助の長男として生まれる[3]。藤崎家は古くから呉服太物を業とした仙台の旧家で、明治12年に家督を相続し四代目三郎助を襲名した[4]。
家業の藤崎呉服店(藤崎の前身)を継ぎ[1]、藤崎生糸荷造所を設けて代表社員となる[2]。
南米貿易に進出しアルゼンチンに藤松組、ブラジルに藤崎商会を設立した[1]。また、製糖業にも進出し荒井泰治、槙哲らと台湾に塩水港製糖を設立した[1]。さらに台湾海陸産業、台湾肥料など数多の会社設立に加わり、巨富を得た[4]。
また藤崎商店を株式会社化しデパートメントストア方式を採用した[4]。
家族
[編集]- 父・3代目藤崎三郎助[5]
- 母・てう(1849年-?)- 11代目内ヶ崎儀左衛門二女[5]。内ヶ崎家は酒造を業とした仙台の旧家
- 妻・まつゑ(1887年-?)- 内ケ崎文之助長女[5]。文之助はてうの弟で宮城県会議員
- 長女・みを(1895年-?)[5]
- 娘婿・5代目藤崎三郎助 (1887年-?)- みをの夫。旧名・内ヶ崎隆次郎。12代目内ヶ崎儀左衛門(11代の次男)の次男。弟に内ヶ崎贇五郎。[6]
- 二女・英子(1909年-?)[5]
- 娘婿・藤崎勝男 (1905年-?)- 英子の夫。旧姓・三浦。兄に三浦篤 (政治家)、三浦義男 (参議院議員)。
- 孫・6代目藤崎三郎助 (1917年-1994年)- 5代の長男。旧名・雄太郎。藤崎社長・会長。娘婿に氏家照彦。
- 曾孫・7代目藤崎三郎助 (1949年-)- 6代の長男。旧名・正隆。藤崎社長・会長。
- 親戚:内ヶ崎作三郎[7]
伝記
[編集]- 長沢倉吉編『藤崎三郎助』藤崎三郎助伝編纂会、1932年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 清田伊平 編『日本ダイレクトリー : 御大典紀念』甲寅通信社編集部、1915年 。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。